初めて投稿。ドキドキと共にお送りします。
というわけで。どういうわけで? 純文学です。文学、と聞くとどうも肩肘を張ってしまいます。ちゃんと読まなきゃちゃんと読めるかな感想に間違いはないかしら。私はそんな不安を抱きます。
ですが、考えてみればおかしなものです。読み物に対してどう読もうが、それは読者の勝手なんだよな、と思うわけです。それなのに感想を抱くことにビクビクしているなんて、それはちょっとナンセンスかな、とそんなことを思ったりもします。
そういうわけで。どういうわけで? 純文学にいってみました。活字に潜りこんでみました。どうしてか私は、無性に純文学を読みたくなる時がありまして。ご多分にもれず今回もそんな気分に苛まれて本を選んだわけです。
『日曜日の人々』。
薄く感じますが読み応えはその歯応えはとても強靭です。なんというか、言葉の選び方の中に魔力でも仕込まれているのでしょうか。普段、自分が書いている同じ言葉とは思えないような配置に驚いたりするのです。
それは何も内容が突拍子というわけではありません。作品全体に漂っているのは『死』です。私はそう感じました。特に自殺なのですかね。そんな感じがしました。
色々とです。思うんです。思わされるんです。言葉って何者なのかな、と。そして同時に言葉って不確かなものなんだな、と、なんだか裏切られた気分です。
きちんと言葉にしなさい、ってあるじゃないですか。その言い方だと、言葉というものはたいそう皆にとって平等できちっとしたものであることを指してるように感じるじゃないですか。でも、そうじゃあないんですよね。
言葉の音に区切りに言葉遣いに、溢れ出るんですよね。不穏さが。不安さが。そこら辺の感覚を新発見というか再認識というか、とにかく読後感は興奮しておりました。おお、すごいの読んだなって。
意識無意識の言葉たち。子どもと大人。死ぬひととか。とにかく出てくる人は何かしら不穏を抱えています。
生きづらさが何ともいえず苦しいのです。
でも、読んでて、こういう感覚は持ってたいな、と思わされる作品でした。
初めて投稿。渾身のまとまってなさ。何言ってんだよ、感、満載ですね。でも、言いたいのは、オススメだってことです。