Twitterが「いいね」の廃止を検討しているらしいです。
私が考えるに、「いいね」の役割が多岐にわたっている点が解釈の違いを生むのかなぁ?と。
良いツイートだと思ったから押されるわけではなく、知り合いだから有名人だからとりあえず押すとか、ありますよね?
やらない?私はしますけど。
ファボニケーション(ファボを押すことによるコミュニケーションと私は理解しました)というらしいです。言い得て妙。面白い表現です。
私が見た中で面白かったのが、有名人が一言、下ネタをツイートしたものがTLに流れてきまして、数秒で5個くらい「いいね」がついていたと記憶してます。
多分「質」じゃ無いですよね。
(「いやいや、あの有名人が下ネタを言うから面白いんだ。笑いという価値を与えてくれた。だからこのいいねには意味がある」という反論ならそうかもなぁと思います。が、そこまですら考えてる人、あまりいませんよね。誰かがそういう反論をして乗っかる人は結構いますが。)
(BOTかもしれません。そうじゃないかもしれません)
コミュニケーションとしてのいいねの送り合いが悪いとは思いませんが、それでツイートの質は担保されないと思います。
むしろ「いいね」は混在し、後で「質が良いからついたいいね」と「ファボニケーションのいいね」を区別できなくします。
いいねが多いからといって必ずしも良いツイートじゃない、と。
それが問題になるのがフェイクニュースのようです。
いつもいいツイートをしてくれる人が書いているからきっと本当だろう、と。
で「いいね」が集まって拡散された。
真相がばれた。
実は嘘。
意図的でなくとも良い事だとは思いません。
顕在化する分にはまだ良いと思います。影響を受ける人に反論のチャンスがありますので。(それでも反論するコストは誰が払うのかというと、影響を受ける人です。迷惑かけてます。)
なんとなく広まっていく話は厄介です。いつの間にか共通認識になっていたりとか。
フェイクニュースはデマの拡散なので悪いことだと思います。
一方で、Twitterを「いいねとフォロワーを獲得するゲーム」にしているのは良いんじゃないかと思います。個人の捉え方の問題だと思うので。
そういうゲームなのであれば、いいね欲しがりさんは、今日もどこかのネタ帳をパクってつぶやくし、返報性の原理やバズり、時には炎上を期待した言動もあるでしょう。
私は別にそれが悪いことだとは思いません。
Twitterのツイートは質を求める所じゃないと思っているからです。
良いんじゃないですか?それで。
資源は有限です。賛成します。日常生活をコスパ良く生活していくには有名人をフォローして楽しめばいいんじゃないですか?
そうやって審美眼を養う機会を放棄していれば自分で質を見極められないことになると、私は思いますけど。
Twitterって、良質なツイートを発掘する必要性も設計も無いんでしょう?
だったら審美眼を磨く必要なんてなく、わざわざ面白い無名を探す手間をかけることなく、楽しくウェーイってのが合理的です。
しかし、Twitterが会社として「ツイートは質(健全性)を求める場所である」と考えているのであれば、今までの放置は「見守っていた」なんて言葉でごまかせるものではありません。ただの無策であり実行力の欠如です。
個人的に、フェイクニュースが問題なんだったらそれに対する別の解決策を検討してもよさそうです。
いいねの役割はもう独り歩きしているので、いいねを廃止ではなく、役割の分割が最低でも要求されると思います。
ではでは
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・かんがえる、かがんでいる人
・Steemit
・Twitter
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