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僕は二十歳だった。劇作家になり、自らも舞台に立とうと決めた。才能があるのは分かっていた。作品は一年後に完成した。作品は友人だけでなく、文壇の大家からも絶賛された。上演はすぐに決まった。そこそこの作品ばかりを上演しているそこら辺の劇場ではない。真の文学作品だけを上演する世界で唯一の劇場だ。
稽古はすぐに始まった。心ある多くの資産家が援助を申し出てくれたし、世界中の俳優が端役でもかまわないから出演させて欲しいと言ってくれたからだ。おかげで稽古は、快適に、順調に進んだ。出演する俳優は有名無名を問わず優れていた。僕が書いた作品の感情も思想も、僕の期待以上に体現してくれた。上演前から新聞は、歴史上最高の傑作になると書いていた。また、新しい才能現るとか、ある文豪の再来とも書いていた。僕は若かった。文学的にも、社会的にも、経済的にも、成功は約束されていたのだ。
でも、そうはならないだろう。上演初日、最後の打ち合わせが終わったあと、僕は肝心なことを忘れていたことを思い出した。世界はとっくの昔に終わっていたのだ。たった今、台詞の確認をしたはずなのに頭のなかには何の言葉もない。自分で書いた作品だというのうに。それもそのはず。観客席は立ち見がでるほどの満員だったが、彼等は皆、生まれつきの死者なのだ。しかも、こうしている間にも、一秒ごとにますます死んでいく。そんな人達に、どんな芝居を演じろというのだ。それでも僕は、楽屋を訪れるひとたちと挨拶を交わしたり握手したりしながら、自分が書いたものを思い出そうとした。せめて自分の台詞だけでも。だが、カラカラの雑巾のようにいくら絞っても何もでてこない。
時間がきた。僕は舞台にあがり、自分の位置に立った。俳優達もそれぞれの位置に立った。劇は僕の台詞から始まる。彼等の期待が僕に集まった。
開演のブザーが鳴る。幕がゆっくりと上がり始める。僕は少しずつ沢山のライトに包まれる。やはり台詞は思い出せない。
劇が始まる。世界には何もない。僕は最初の台詞を話し始めた。