こんばんは。wizballでも質問してみた内容なんですが。
ちょっと文章にしてみたかったので、ここで書いてみようという試みです。
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まず、最近のメディアは製作者の頑張りや主張がもろに反映されている気がします。特にyoutubeはそれが顕著に出ている気がします。
皆さんはどう思いますか。
結構息苦しく感じませんか。
今日動画を見ていたら、気晴らしに見ていたはずなのに、「お前は努力が足らない」と説教をされている気分になり、えらく落ち込みました。
思い返してみると、最近はテレビもディレクターが前面に出で語っていたりするし、ツイッターとかでも個人が発信しているので、世の中が主張であふれているなと思ったんです。
で、なんというか「現実を突きつけてくる」感があり、世間に攻められている感情が沸いてくるのです。これは「誰でも情報を発信できる社会」では至極当然のことなのかもしれません。つまり、
①「誰でも情報を発信できる社会」になったことにより、個人がまず最初に発信すること、つまり自分の言いたいことが世の中にあふれた。
②「誰でも情報を発信できる社会」になったことにより、テレビ局などの大手メディアの発信力が薄れ、制作費が削減された。これにより、演者の数を減らしても番組を成立させるため、最作者自身が出演する手法が取り入れられ、結果youtubeのような個人メディアの内容側に番組内容がシフトしている。
③大手メディアへのコンプライアンス系の弾圧が強くなり、毒にも薬にもならない番組が大量投入された結果、他のメディアとの落差が激しくなりすぎ、見たときのショックが大きい。
なんか、書いてみたら僕にしか当てはまらない内容のような気もしてきました。
ところで、皆さんはチャップリンの映画って見たこと有りますか?僕は高校生のころ、「モダン・タイムス」を見たことがあります。
見ていたら気持ち悪くなりました。
なんというか、「主張の塊」だったんですね。彼はゴリゴリの社会主義者だったので、資本主義大嫌いですから、世の中の機械化と資本主義化に大反対で、コメディー映画の体でめちゃくちゃ批判していたんですよ。それがまぁ露骨で今の世の中全面否定な訳です。ああいう作品で「喜劇王」ってどうなんだろうと少年の心で思っていたわけです。
今、例えば「爆笑問題」が時事ネタを取り扱って漫才をしていても、全然気持ち悪くなりません。それもそのはず、本人たちも何かで語っていたのですが、彼らは時事ネタを扱って笑いを提供しているのであって、世の中を批判していないからです。特に気を使ってそういう要素を抜いているといっていました。
テレビのバラエティー番組でもあまり政治的な話はしないです。コンプライアンス問題もあって、毒にも薬にもならない番組を求められます。
でもなぜかニュースは違います。はっきりと、大きな主張が聞こえてきます。事実をただ伝える体で、いろんな人の思惑が入り込んでいるように感じます。はっきり言って気持ち悪いです。だから僕はニュースは動画で見ません。見れないに近いです。
話が大分それました。とにかく主張とか頑張りとかをあんまり見てしまうと心に毒だと思ったという話です。
テレビのニュースは僕が嫌いなだけです。
だからメディアが進化するたびに、どんどん息苦しくなる気がするのです。
そう思っている僕がこうやってブログを書いてその息苦しさに一役買っているわけです。何なんでしょうか。不幸を送りあっているんでしょうか。僕は何でこんなことを書いているんでしょうか。