
INxxのための自己啓発を考えてみる。
現代社会でINxxが生きる上での8つの心得である。
それぞれの心得については、別の記事にしてある。(これからアップしていく予定)
3. みんなが知っていることは、知っていてはならない
4. 非対称性によってのみ、世界と関われ
5. 定時で帰るな
6. 起きている状態と寝ている状態の境界を曖昧にせよ
7. 自然に触れよ、ただし1人で
8. いつやるか、という疑問が入り込む余地があるなら今やるべきでない
ところでINxxはそもそも、自己啓発を必要としていない。
少なくとも、ESxxが必要としているようには、必要としていない。
でもINxxは日本を含めた多くの先進国で「やりにくさ」「生きにくさ」を感じていることが多いのは確かだ。
今回提示する8つの心得は、現代社会で社会生活をうまく「こなす」上での表面的な問題について、直接的な解決策にはならない場合が多いことに留意してほしい。
通常、世に出回る自己啓発は、その多くが、ESxxの自己愛を満たすものであると同時にESxxを鼓舞するためのものである。
また、非ESxxの人が目にすることにより、ESxxこそが社会の中心であり社会を牽引する存在であると印象づける効果も持っている。
変化が必要な時、新しい時代に合わせた新しい自己啓発も提示されやすい。
しかし、変化が必要な時というのはINxxにとっては要注意でもある。
一見すると今までとまったく違う価値観が示されているように見えながら、これまで存在していた「ESxxのための自己啓発」を言い換えているだけに過ぎない場合がある。
表面的には何かが正反対であるようにみえても、ESxxを人間としての理想像とみなす姿勢については変わっていないのである。
変わっていないないどころか、この姿勢については下手をすると強化する方向へ向かいかねない。
なお、ここでは、MBTIそのものについては解説しない。
INxxというのは基本的に、INFJ、INFP、INTJ、INTPの4つを包含するものである。
INxPというのは基本的に、INFPとINTPの2つを包含するものである。
「非INxx」というのはつまり、ESxx、ENxx、ISxxのすべてを包含するものである。
2020年7月現在、INxxは他のサイトでは単に「IN」とされていることが多いが、「INxx」のほうが検索を容易にするというのもあり、このように表記している。
また、「x」を挿入することにより、いろいろな可能性が含まれていることを明示することができる。
例えば、INxPは単にINFPとINTPの2つを指しているだけでなく、T型かF型か判定できるほどの情報がない場合や中間的だったりする場合に、T型かF型かを無理やり確定させなくてすむわけである。
「I型」「T型」などについては、「Ixxx」「xxTx」とせずに単に「I型」「T型」と記述する。
ちなみに筆者は、あえて強調したい場合を除いて、「INxx」と書いて「アイエヌ」と発音し、「INxP」と書いて「アイエヌピー」と発音している。
また、ここではMBTIはあくまでもただの性格分類として捉えており、基本的に性格は15歳前後でほぼ確定していることも前提にしている。
そして意識的に性格を変えるということはまったく不可能であるということも前提にしている。
人との関わり方が変わったように見えても、それはあくまでも表現型が変わっただけであり、性格が変わったわけではない。
そういうわけで、ここでいうMBTIは本来のMBTIとは「似て非なるもの」と考えてもらってもいいし、「MBTIをベースにした別の何か」と思ってもらってもいい。
ここで、INxxについて概観を述べておきたい。
筆者は、2020年におけるどのような地域でも、INxxは全人口の約25%程度は存在していることを前提にしている。
これは従来のMBTIの感覚では多すぎるということになるかもしれない。
この25%という数字は、そうであってほしいという願望にすぎないのかもしれないが、それでも25%いるかもしれないと想定することには意味があると考えている。
また、文化が違えばINxxかどうかの判定方法も異なるかもしれない、というのを前提にしている。
それはつまり、2020年時点の日本でINxxと判定された人が、別の国に移り住んでその国の文化に適した判定方法で判定するとINxxにはならないかもしれない、ということでもある。
ただし、どの国でもINxxが25%になるように判定方法を慎重に組み立てなければならない、などと考えているわけではない。やはり、国によってINxxが占める比率はそれなりに異なっているかもしれないし、1つの国の中でも地域によってそれなりに異なっているかもしれない。
まず留意してほしいのが、この「INxxのための自己啓発」シリーズに限らず、筆者が性格分類について語る時には、根拠が曖昧なまま議論を進めている場合があることだ。
以前ALISに書いた「70%パラドックス」も参照してほしい。
こういう誤りが大量に含まれているかもしれないことを念頭に置いておいてほしいのである。
また、筆者の推測が正しい場合でも注意が必要になることがある。
例えば、筆者が「INxxはAである場合よりもBである場合が多い」と書いているとしよう。
そして「AかつB」や「C」はありえないとする。
もしこの「Bである場合が多い」というのが正しいとして、ではその「多い」というのは果たしてどれくらい多いのか?
調査した結果、もし仮に70%程度だとするとどうなるか。
ある人物が70%の確率でINxxだとする。そしてINxxのうち70%は「Bである」。
果たしてその人物は「Aである」可能性が高いのか、「Bである」可能性が高いのか?
もちろんこの場合、非INxxでも「Bである」可能性が多少なりともあるのなら、「Bである」確率は50%を超えそうではある。
さて、社会との関わりということで言うと、何よりもまずINxxは「社会」を生きるということができない。
これはまた、「INxxだけを集めた理想郷」は幻想であるということでもある。
そして筆者は、少なくとも25%程度の人が「社会」を生きていないと考えているということでもある。
これはいくらなんでも多すぎるように感じるかもしれないが、そのように思うのは、様々な形でINxxの存在が隠蔽されてきたからである。
1945年以降の日本では、隠蔽のための母体として最も大きなものは専業主婦や家事手伝いである。
また、自営業者、ホームレス、引きこもり、ニート、低賃金労働の従事者、職を転々としている人、「自由人」のような認識をされやすい人、性風俗産業の従事者、生活保護受給者、累犯障害者あるいはそれに近い状態の人々、として認識されることもある。
一般論としてINxxはアーティストに向いているとよく言われるが、日本においてどうなのか、実際のところはよく分からない。
日本の高IQのINxxでは、研究者、技術者、文筆家、編集者、精神科医、臨床心理士、投資家、知能犯、また大企業において「万年ヒラ」「万年主任」「万年係長」のような状態の人々、である場合もある。
日本の大企業が「万年ヒラ」の高IQのINxxを大量に抱え込んでいるかもしれないことは、本人も会社も大して困ってはいないかもしれないものの、高IQのINxxとしての特性が企業活動にほとんど反映されず、その特性が社外でも活かされにくいために、日本の産業の生産性低下の要因になっている。
本人が社内でそれを主張しても「お前自身が生産性が低いのに何を言ってんだ」で終わってしまうだろう。
局所的な生産量が増えることにより全体の生産性がかえって下がる場合があること、また生産性というのはそもそも個々の作業量の総量を人数(あるいは総時間)で割ったものではないというのが重要なのだが、それについては今回のシリーズとはまた別の機会に述べる。
なお、INxxの雇用が不安定になっていることが多いからといって、強引に正規雇用に結びつけるのはやめたほうがよい。
これは、特に日本の企業がメンバーシップ型雇用になっているからでもある。
気軽に辞められて、辞めたらまたいつでも探せるという状況がINxxにとってはより深い安全保障感が得られる。
1945年以降の日本の労働市場は、実質的にINxxを効率的に排除するようなシステムになっているといえる。
ただし、単に住みやすさということで言うと、必ずしも日本の都市部はINxxにとって暮らしにくい場所とはいえないかもしれない。
なお、1970年ごろまでの日本の大学は、大学に行くという時点でINxxの比率が高かったかもしれないが、今は逆の可能性がある。
大企業においてINxxが占める比率が少ないかもしれないことは、全人口の中でのINxxが占める比率が低く見積もられる要因になっているかもしれない。
日本を含めた先進国で大規模な調査をやろうとしても、INxxはその網にかかってこない可能性があるのである。
2020年時点の日本においては、1970年以降の50年間で大企業によって自営業が解体されたことはINxxの生きにくさに大きく影響している。
でもこのことは、2000年ごろ、つまり今から20年前くらいに語るのとは、まったく状況が変わっている。
それは、今となっては日本的な大企業のほうが解体されつつあり、プラットフォームと個人の結びつきにより、新しい形で自営業やフリーランスが増え始めているからだ。
皮肉なことに、以前のような「自営業」を強引に復活させようとすることは、INxxにとっては大企業に入社するよりも過酷である可能性がある。
以前のような自営業とも企業の社員になるのとも違う、新しい形の収入のあり方があるのはINxxにとっては良い状況だろう。
INxxは非INxxからみて「奇妙な生活」を送っているように見えることもあるが、そもそも「生活」をしていない場合が多い。
特に20代や30代のINxxはそうだ。
また、「清貧な生活」を送っているように見える場合も、やはり「生活」をしていないと捉えたほうが適切である場合も多い。
生活者としてのINxxを見ることによってINxxを理解しようとすると、INxxを見誤る。
MBTI以外の概念とMBTIの関連性についてどう思っているかについても、軽く触れておきたい。
HSPとの関連においては、当事者にとっては気になることと思う。
HSPとINxxは確かに重なり合っている。そのように解説しているサイトもたくさん見つかる。
でもINxxの全員がHSPではないし、また非INxxにも確かにHSPは存在している。
日々鈍感なESxxに苦しめられていると感じているINxxにとっては認めたくないことかもしれないが、やはりESxxにもHSPは存在しているのではないかと思う。
今回提示する8つの心得は、あくまでもHSPではなくINxxのために書いたものである。
また、恋愛においてよく使われる、安定型、不安型、回避型の3つの愛着スタイルに分類する性格分類では、INxxは非INxxに比べて回避型が占める比率が多いのではないかと考えている。
これは恋愛においてINxx同士のカップルが必ずしも相性が良いとはいえないことを考える上で参考になりそうである。
もちろん、INxxの全員が回避型というわけではない。
発達障害については、障害のレベルが重い場合は性格分類にフォーカスしすぎることによって問題が覆い隠されてしまうことが多く、逆に軽い場合は発達障害にフォーカスしすぎることによって問題が覆い隠されてしまうことが多い、と指摘するだけにとどめておきたい。
なお、精神病理学に詳しい人なら一読して分かることだとは思うが、筆者はMBTIそのものやユングよりも精神病理学の影響を強く受けている。
そして、もう一度ESxxとの対比について。
ESxxのための自己啓発をINxxに押し付けることが人権侵害になるのと同様、INxxのための自己啓発をESxxに押し付けるのもまた、人権侵害になるかもしれないことに留意する必要がある。
それでも、ESxxも数年に1回くらいの短い期間だけ、ここに書いていることが実感できるような時もあるのではないだろうか。
ESxxとINxxの相互理解において重要なのは、自分にとっての極端な非日常が、相手にとっては日常かもしれないと想像してみることだろう。
ESxxの影響力が強い環境において、INxxの中でも特にINFPがストレスを感じやすいかもしれないことは、一考に値する。
もしあなたがINFPで、日本を含めた先進国に住んでいて、2030年までにこの文章を読んでいるのだとしたら、その「生きにくさ」を錯覚だと思ってはいけない。
当事者がこの生きにくさについて考えることは、人類史的な使命であると言ってもいい。
ただし筆者としては、今回のシリーズにおいても今後においても、INFPにフォーカスしすぎるということはしないつもりである。
理由の1つとしては、INFPが「発達障害のようなもの」として認識されることを避けたいからである。
つまり、筆者が考える最悪の展開というのは「よし分かった、じゃあINFPを救済しよう。でも残りのINxxは、今後ともESxxの価値観に合わせて行動するように。じゃ、よろしく」というようなものであるわけだ。
2030年くらいになれば、INFPがもう少し過ごしやすくなっているかもしれない。
でも本当に、そうなるだろうか。
2020年8月現在、2020年1月からの新型コロナウイルスの騒動で、ESxxが美徳とする感覚を押し付けることには大きなブレーキがかかっているが、これは一時的なものに過ぎないのだろうか。
約100年前、1920年前後のスペイン風邪の時は、人類はアップデートをしそこねた。
果たして今回は、どうか?
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「1. そこに山があるなら、その山には登るな」
「2. 受け取って配置する、というサイクルを死守せよ」
がリンクになるように修正(2020-08-09 20:05 JST)