
グルメカテゴリーがあるから、せっかくなので書いてみる。クリスマスだし。

20代中ごろの話。
俺は永田町で秘書をしていた。といっても代議士の秘書ではない。代議士とヤバい人たちとの間に入って、ややこしい話を色々処理することを生業とする人の秘書だ。ここではその人をボスと呼ぶことにする。
ボスはどういうわけかベンツをはじめ高級車を7台も持っていて、毎朝起きてから「おい、今日はロールス」と車種を選ぶので、ジャージに着替えて冬でもせっせと洗車の日々。夜はと言えば毎晩銀座とか六本木、たまに歌舞伎町に繰り出す。俺とドライバーはボスが出て来るまで車内で待機。朝まで出てこないときなんて地獄だ。でもたまに一緒に入るときもあったから、面白い日々だった。
そんなある日の夕方、ボスがいきなり「おい、これからOO(東北の某県)に行くぞ」と言う。傍らには、案内役のヤバい人。当時、歌舞伎町にオフィスを構えていた業界の有名人の右腕だ。その5分後には、先輩秘書がドライバー、俺が助手席に乗って、ボスと案内役を後部座席に乗せたベントレーは颯爽と高速をかっ飛ばしていた。
某県に着いたのは夜9時ごろ。案内役が「美味いステーキ屋がある」というのでルンルン気分で行くと、ラストオーダーは終了していた。だがそんなことで怯んでいたら案内役失格だ。その案内役にとっての解決策はただ一つ。無理やり入店。
明らかに迷惑そうな女将をしり目に、「このコース4人前じゃ」。個室に入ってしばらくした後に運ばれてきたのはその県の銘柄牛で、鉄板の上でジュージューいっていて旨そうなことこの上ない。でも個室で目の前にはボスと案内役が居るから、呑気に楽しく堪能できる状況でもない。それでも美味いから口いっぱいに頬張って幸せな気分に浸っていると、ボスが案内役に向かってボソッとつぶやいた。
「それにしてもOOちゃん、会うたびに指が少なくなっていくねぇー」
その言い方と絶妙の間に思わず吹き出しそうになりながら案内役の手に目をやると、確かに指が2本ない。だがここで吹き出すことなど許されない。
我慢しながらもう片方の手に目をやると、こっちも小指がない。計3本もない。どんだけドジな人なんだよ。。こんなのもう普通なら、完全に吹き出している。でもそれは許されない。ザ・我慢。
これは書くのは簡単だが、実際はまさに地獄である。満員電車の中で下痢が漏れそうになるのを我慢するのと同じくらいの地獄だろう。そして笑いをこらえるとどうなるかというと、息が詰まる。俺はその時、息ができなくなった。これはやばいなと何故か冷静に状況判断しつつ、とりあえず指から目を背けて、目の前の小鉢の絵柄を見つめながら、息が戻るのを待つ。でもそんな簡単には戻らない。これはマジでやばいと思っていたら、案内役が「ちょっとトイレ」と立ち上がった。助かった。その後結局、どうやって息を戻したのかは実は覚えていない。覚えているのは、あのステーキ、ちゃんと堪能したかったなという恨みの念だけだ。
なんやねん、そのオチは!?というなかれ。
これはまだプロローグに過ぎなかった。
翌日の昼前、やたらと派手な門構えの豪邸の前に到着したベントレーから、ボスと案内役だけが門をくぐり、俺と先輩は外で待機。雪がちらつく寒さの中、直立不動で待つ。こういう時は相手側がどこからかこっちを見ているはずだ。舐められてはいけない。そして30分ほどすると、ボスたちとヤバそうな一団がぞろぞろと出て来た。
「おい、ちょっと場所を変えるから、あのBMWの後について行け」
ボスたちを乗せて10分ほど幹線道路沿いを走って、とある駐車場に入っていくBMW。看板を見ると、どうやら蕎麦屋らしい。
「ここの蕎麦がうめーんだよ。あと、かき揚げがでっかくて名物だからよ」
先方の恰幅のいい親分らしき人が言う。ちなみに向こうはその親分ともう一人の2人だ。
お昼時だから、席はほぼ埋まっている。そんな中、座敷の一番奥に先方2人とボス、案内役が座り、俺と先輩は手前のテーブルに2人で座る。異様な雰囲気を感じた客の数人は、こちらをチラチラ見ている。ここで言い忘れていたが、先輩はメジャーに行った伊良部投手にそっくりのガタイの人だ。なのでここからはイラブ先輩と呼ぶ。
メニューを選ぶまでもなく、蕎麦とかき揚げのセットが注文される。かき揚げはもともと好物だからまあいいかと待っていると、蕎麦と共に手のひらサイズのかき揚げが運ばれてきた。
これが噂の名物のかき揚げか。でかいな。これ食いきれるか?と思いつつ、食べ始める。ああ、美味い。やっぱり蕎麦には海老天よりもかき揚げだ。
ちなみにこんな状況の時は、ボスがタバコを手に取るとすぐにライターをもって席に駆け寄らなければならないから、常にチラチラと確認しながら食べることになる。うまーっと堪能している暇はない。
そんなこんなで、かき揚げをほぼ食べ終えたころ、親分が何か叫ぶのが聞こえた。
「おーい、このわしらの分、あそこにいる若いやつらのところにやってくれ」
んん?と思っていると、仲居さんが4人分のお盆を抱えてこちらにやってきた。
見ると、ほとんど手が付けられていない。
どうやら話に集中していて、食べている場合ではないらしい。
呑気にイラブ先輩に向かって「はは、こんなの持ってこられてもですよね?」というと、「わかってるだろうけど、残すわけにはいかないからな」とサラリと言う。
いや、マジかと思っていたら、イラブ君がカミソリ級の切れ味のセリフをのたまった。
「あ、俺、ダイエット中だから」
え?どう見たって、3人前くらいぺろりと行けそうな体してるのに。もはやイラブ先輩ではなくイラブ君に格下げだ。
でも俺は若かったから、それを真に受けてしまった。
俺はこれを残すわけにはいかない。
しょうがないから食い始める。周りの家族連れたちが好奇の目を向ける。
2枚食べ終えた時点で、もうお腹いっぱいである。もともとのサイズが大きいんだから無理もない。だいたい泊りが温泉旅館だったから、いつもより朝食もたくさん食べている。
3枚目を半分くらい食べた頃、ボスたちが立ち上がってこっちにやってきた。
「よし、そろそろ行くぞ」
おっ、助かったのか?いや、まだ残ってるからヤバいのか?
その両方の考えが頭の中をグルグル回り始める。
すると、ボスが俺の方をちらっと見て一言。
「お前、どんだけ食ってんだよ、食いしん坊だなー」
親分たちは「どっひゃっひゃ」と笑っている。
イラブときたら「残してしまい申し訳ございません」とか殊勝にのたまっていたけど、食ってないし、イラブ。
そして外に出ると、ボスたちと親分はイラブの運転するベントレーに乗り込み、俺はBMWの助手席に座らされることになった。運転席に座った怖そうな人が言う。
「これからスカイラインを走りながら話をするようです」。
ああそうなんですねと相槌を打っていると、2台は山に向かって走り出した。
なんで山道なんかを走りながら話をするんだ?なんで俺は怖い人の隣に座らされてドライブなんだ?と色んなことを考えていると、くねくねした道に入っていく。察しのいい人はすでにおわかりだろう。俺はさっきまで無理やり巨大かき揚げを胃袋に詰め込んでいた。
酔うに決まっているじゃないか!しかも隣は怖い人。
もちろん吐くわけにはいかない。まだ満員電車の中で下痢を我慢するの方が救いがありそうだ。
「OOは初めてですか?この辺はスキーできるんですよ」とか、運転席から怖い人が呑気に話しかけてくる。
「はい」とか「ああそうなんですね」としか返せない。下手に喋ると、胃袋から込みあげてくる。
この地獄のドライブは小一時間ほど続いただろうか。
ようやく親分の邸宅まで戻ってきた。
安堵しながら車から降りると、ボスが近づいてきた。忘れていた。ボスのセカンドバックを俺が持っていた。
さっと手渡すと、「うぉっ、なんでお前こんなに汗かいてんだ?」
どうも気づかぬうちに、汗でびしょびしょだったらしい。
「いえ、すいません、緊張して」
親分たちはまた「うっひゃっひゃ」笑っている。イラブの野郎まで。
そんなこんなで話がまとまったのかどうか知る由もなかったものの、無事に帰途に就くことに。
幹線道路から高速に向かっていると、後部座席からボスが怖いことを言ってきた。
「おい、親分から、いい若いの連れてるな、うちにくれよと言われたけどよ、お前、残るか?」
「・・・え、ご遠慮しときます」
すると案内役が叫んだ。
「ひぇー、俺ならすっ飛んでいくのにな!」
いやいや、俺は指を大事にするタチだから。
それにしても、あのステーキと蕎麦とかき揚げ、普通に食べると美味いんだろうな。
死ぬまでに食べに行きたい。

P.S. これはあくまで20年以上前の話。この後、秘書を辞めてITベンチャーに転職し、経営企画室勤務で10社くらいのVCから資金を調達し株式公開目前まで行ったところでネットバブルが崩壊し、あえなく倒産。怒涛の20代だったけれど、おかげでちょっとのことではびくともしない精神力を得て、40代の今でも無謀なことにチャレンジできている。しんどい経験と美味いものは若い時に経験しておいて損はない。











