
食感の魔術を操るものは胃袋を掴むとは先人の残した言葉である。気がする。
ミスドでは過去に食感にテーマをおいたものがいくつか出ている。現存するものではポン・デ・リングは食感こそが受けた大きな理由である。
今のミスドで他に食感の妙といえばゴールデンフレンチである。ゴールデンチョコレートという定番ドーナツがあるにもかかわらずこちらを上げた理由をレポートする。
そもそもフレンチクルーラーはその食感の軽さが売りである。実際にカロリーも最も低い生地シリーズであり夜のダイエッターは注目するべきである。しかしその軽さゆえ物足りなさや存在感までも軽くなっていた。
ゴールデンは長くチョコ生地の独占でありゴールデンチョコレートこそがその珍妙な存在感を特に学生に人気を博している。その理由もまたチョコ生地の重さとゴールデンの食感である。
そこに登場したゴールデンフレンチはどのような存在であろうか。
口に入れてみればじゃっじゃっじゃっと日本庭園の砂利の上をリズムよく歩くような音が口から頭蓋に響く。これは食感の重いチョコ生地ではここまでダイレクトに感じることのできないものである。例えるならチョコは土に混じった小石を踏むそれであり玉砂利の小気味良さとは別である。
卵生地とすら言われるフレンチの生地と表面のチョコがその音とともに混ざり広がっていく。意識するのは音が先か味が先か。多くの人は味が先であろうがぜひこれを読んだ冒険者は音に集中して欲しい。
音から広がる味を楽しんでいれば軽いフレンチ生地はいつの間にかなくなっている。普段なら物足りない表面のチョコが口の中で改めて主張しているのを感じることができるだろう。
そのまま次の一口へ進むのも良い。コーヒーや飲み物でチョコとのマッチングを楽しむのも良い。
ドーナツに完全体は存在しない。しかしそれに近い存在はいくつがあげられるだろう。一つがオールドファッションまた一つがポン・デ・リングである。
ポンデリングはそれ自体が広く浸透しミスドの基礎となった存在である。ほとんどのドーナツはオリジナルとはいえ調理法によるものであったりバリエーションであったりしたがポンデリングは日本ではミスドの独壇場である。ポンデリングの基礎となったポンデケージョのようなものがあるためやはりオリジナルとはならないが存在感はミスドでこそ見られるといえる。コンビニで見られる類似品ですら形状を真似ているところからも認められているとがわかる。
しかしそのポンデリングが進化するとすればその形はエンゼルに落ち着くと言えるかもしれない。
ポンデショコラはその食感を犠牲にした。ポンデ生は食べやすさを犠牲にした。
ポンデエンゼルはどうか。スライスされた分食感はすこし減るようにも感じる。しかし食べてみればそれを感じるのは噛み切るときだけだろう。口の中でポンデ特有の単位であるが一粒を噛み締めてみればその食感はポンデリングのものであることがわかる。その中にホイップのふんわりとした感覚と甘みが広がってくる。
これは正当進化と言えるかもしれぬ。
一部にかけられたチョコもまたその進化しての役割を十分果たしているようである。
ポンデリングは完成しているのかそれれとも今後さらなる進化を見せるのか楽しみである。










