季節は巡る。巡るたびに思い出すことはあるようでない。思い出はどうしても薄れるからだ。どんな美しい景色も声を出して泣いた思い出もいずれ薄れていく。しかしそのものが薄くなって消えていくわけではない。時間とともに新しい記憶が過去を薄くしていくのだ。薄まらないように必死になることもある。忘れてはいけないと律することもある。しかしどうしてもなにがあっても無くなりはしない。過去は自分の一部となりそれは消えることはない。今の決断も思考も迷いも悩みももしかすると過去の一部だ。
これは近年定期的に出されているドーナツの一つである。チョコに合わせた季節の定番といえるのかもしれない。食感は人を惹きつけるものでポンデのもっちりで成功して以来ミスドは何度も食感を売りにしてきた。ザクザクや新しい組み合わせやしかし今の所どれも大きな成功とは言えない程度の成功にしかなっていない。それが悪いと言うこととは違うがやきもきしている人々もいるだろう。
ポンデザクショコラであるがポンデショコラにチョコクランチを乗せたものになっている。
ポンデの食感は生地に変化をつけることで失われるのは公然の事実である。定番のショコラですらもっちりを犠牲に生まれてくる。しかし食感としてはもっちりよりもよりどっしりとしたものになりそれを好むということもあるだろう。
ポンデザクショコラは特にその食感を感じる度にクランチが口の中でガリガリと音を立て主張してくるのである。最後の一ガリまで潰してやろうと楽しむのもごく一部で流行っているらしい。
食感の主張はぶつかり合うものにも感じられる。良さが出ていると言えるのかそれを確認するためにはミスドはオールドファッションのザクショコラやフレンチのザクショコラを同時に出して観察する必要があるだろう。どれが一番いいかを客に尋ねる手法は現在ではオープンで公正なものとして受け入れられている上に楽しいイベント的にも映るので行う価値はあるだろう。