僕は、酔っ払って帰ってくる父親が嫌いでした。
日付の変わった夜中に帰ってきては、酒臭い身体でやかましく、母親に呆れられた様子を見るのが嫌で、父親の帰宅が遅くなるなぁという時には、2階の自室に早くこもることにしていました。
そもそも、毎晩のように、どこで何をそんなに飲むことがあるのか?
全く意味がわかりませんでした。
ふと思うと、そんな嫌いだったころの父親の年齢に近づいてきた自分。
ある夏のお盆の時期、例年のように父親と四天王寺さんへお参りに出かけた帰り。
いつもならお参りをサッと済ませて帰るのですが、その日はなぜか、昼ごはんを食べて帰ることになりました。
僕「昼ごはん、どっか食べにいこかぁ」
父「おぉ、せやなぁ。そしたら難波までいこか?」
僕「難波かぁ、どっかええ店あるん?」
父「昼やったらあれや、重亭のハンバーグか、はり重のカレーでもええなぁ」
そんなに食べ物にこだわりがあるとは思っていなかった僕には、お店の名前がポンポンと、しかもメニューとともにすぐに出てくるというのは意外でした。
後日、調べてみると、どちらも大阪の名店。
この日、食べに行ったのは、道頓堀のはり重。
ビーフカツカレー、1,200円。
なかなか、ええ値段。
たぶん、自分で検索して探したのでは出てこないお店、食べない料理。
だけど、美味しい。
普通に、美味しい。
このとき、自分の世界がまた少し広がった気がしました。
そのあと、大阪で食事に行く時には、必ず父親に連絡をすることに。
難波で。天満で。京橋で。鶴橋で。布施で。
尋ねれば必ず、素晴らしいお店を勧めてくれます。
しかも、そこは必ず、大阪らしい、安くて美味しいお店。
なぜ、父親はそんなにたくさんのお店を知っているのか。
それはもちろん、若いころから自分の足で、自分の舌で、自分のなかに蓄積してきたものでした。
あのころ、僕が嫌だと思っていたそのときにも、今、僕に勧めてくれているお店に行っていたのでしょう。
そんなお店たちを今、僕は引き継いでいるのかな…という感覚に陥ったりします。
あぁ、そういえば、今週末も大阪で友人と食べに行くんだった。
父親に電話しないと。
「こんど、天満に友達と晩ご飯食べにいこと思うんやけど、どっかええお店知ってる?」
「天満に夜かぁ、あぁそれやったらなぁ…」