みなさんこんにちは、@keimaejimaです。
僕は昨年くらいから「コミュニティ」についての発信が増え、現在自分の会社で作っているのもコミュニティ系のサービスだったりします。
今日は僕がコミュニティに注目するようになった理由の一つについて書こうと思います。
前提として、僕がこれまでやっていたことについてお話させてください。僕は大学院時代にメディア論という学問を研究しつつ、Credoという学術系のニュース解説メディアを運営していました。簡単にいうと、ある領域について見識がある研究者や大学院生が世の中で起こっている出来事をわかりやすく解説するということをコンセプトにしたメディアです。
このメディアを作った理由の一つとして、「世の中で起こっている分断」をなんとかしたかったということが挙げられます。当時、インターネットやSNSの普及、そしてレコメンデーションアルゴリズムの発達によって人々が受け取る情報に偏りが生まれ、考え方がどんどん先鋭化してしまう現象が問題視されていました。
そうした現象は「エコーチェンバー」「フィルターバブル」といった言葉で表現されており、この言葉を聞いたことがある人も少なくないのではないかと思います。僕自身もそうした状況を実感するとともに、危機感を持ち、どうにかしたいという思いの中でCredoというメディアを立ち上げました。
世の中の現象を専門知を持つ人がわかりやすく伝えることで、世の中の現象に興味を持ち、自ら主体的に考えられる人が増え、分断状況が少しでも解消されることを目指したのです。
その辺の話はその当時取材を受けた際にも語っておりますので、興味がある方はお読みください。
そうした「今まで摂取していなかった情報を(わかりやすく)届けることによって分断を解消しよう」という思想のもとに運営されていたメディアは他にも複数あり、今考えると一種のブームだったように感じます。
The PAGE、The New Classicのようなニュース解説メディアや、Smart Newsのようなアグリゲーションメディアもそうした考え方を背景として持っていたのではなかと思います。
結果として何が起こったのかというと、社会は変わりませんでした。いまだに社会の分断は続いている状況だと思います。たとえば、社会的なクラスターごとの排外主義や経済格差に対する自己責任論などの考え方の差異が、統計的に拡大しているという調査もあります。
学術的にも「自分が持っているものと異なる言説を摂取した人は、それを無視するか、やはり自分は正しかった、とその考え方をより強める場合もある」ということを示した研究があったりします。また、自分の経験的にも「たとえわかりやすく解説されたり、自分の目の前に普段は見ない情報が表示されたとしても考え方が柔軟になったり変化したりする人はそうそういないだろうなあ」と思います。
じゃあどうするのか、というところで注目しているのがコミュニティなのです。
マス・コミュニケーション研究における古くからある仮説で「コミュニケーションの2段階の流れ論」というものがあります。少し引用します。
マスコミはまずオピニオン・リーダーに受け止められ(第1段階),そこでろ過,変形,強調,反論付加などされてその周辺にいる集団メンバーに伝えられる(第2段階)ので,マスコミの影響力が直接に発揮されるというより,オピニオン・リーダーが対面集団face‐to‐face groupの中でもつ個人的影響personal influenceの方が大きい,とする理論
出典:コトバンク
要するに、人々はメディアの情報をそのままうのみにするのではなく、自分が属しているコミュニティで影響力を持った人から情報を摂取しているよねという話です。
僕はこの仮説は現代においても通用するのではないか、と考えています。経験的に、思い当たる節がある人も結構多いのではないかと思います。
完結にいうと、僕がコミュニティに注目している理由の一つは、この「2段階の流れ論」を背景として、上に書いた「分断を解消する」という目的合理性を考えた時にコミュニティに着目することが有効であると考えているからです。
つまり、マスメディアのように世の中全体に発信をすることで世の中全体を変えようとするのではなく、コミュニティが分断されたままでも影響力を持っている人が相互理解を深め、コミュニティ同士の不和解消に向けて各自のコミュニティ内で発信をしてコミュニティの成員に影響を与えていくというやり方の方がが目的合理的だと考えるようになったのです。
以上、僕がコミュニティに注目するようになった理由の一つについて書いてみました。
また、コミュニティに注目している他の理由についても書きたいと思います。今日は以上です!
※こちらの記事は下記からの転載です