・彼が作った分散化されたWebと比べて、大規模な中央集権化が今のwebの問題だ
・個人のデータは個人に帰すべき
・これをWeb3.0と呼ぶ人もいる
ALIS CTOの石井(@sot528)です。
今回はWebのdecentralization(ディセントラリゼーション,分散化,非中央集権化)について書きます。
冒頭で引用したセリフは、ティム・バーナーズ・リーのものです。
"ウェブクリエイター"と紹介されていますね。ここで言うウェブクリエイターはホームページを作る人のことではありません。ワールド・ワイド・ウェブを作った人のことです。HTMLもHTTPもURLもこの人が設計しました。
そんな"Webの父"である彼が、現在のWebには明らかに問題があり、再びdecentralizationを指向する必要があると言っているのです。ブロックチェーン前提の発言ではありませんが根底の問題意識は同じです。
今回はエンジニアはもちろんですが、もう少し広く、暗号通貨・ブロックチェーンに関わる方、興味をお持ちの方に、そのもっとも重要な要素の一つであるdecentralizationについて書きます。この領域でアクションを起こすなら、decentralizationについて学び、深く思考し、得心できれば取り組むべきです。今すぐに、この瞬間から、全力で。
なぜそう考えるのか、この記事を通してご説明いたします。
目次:
・前提
・Decentralizationの定義
・Decentralizationに取り組むべき理由
・Decentralizationの定量的評価:ジニ係数とローレンツ曲線の応用
・備考
私は10月後半から2週間、ドイツ・ベルリンとチェコ・プラハを訪れました。Ethereumの大きなイベントWeb3 summitとDEVCONに参加するためです。各種要素技術やガバナンス、エコノミクスのレベルの高い登壇や議論は大いに勉強となりましたが、中でも私が痛感したのはもっとそもそもの話。つまり日本国内と比べてdecentralizationに関するリテラシーが圧倒的に高いことです。
話の流れから言及されることはあっても、上記イベントの登壇者や参加者はdecentralization自体については語りません。なぜならそれは当たり前の共通認識であり、わざわざ語る意味がないからです。
この感覚は、たとえ技術系イベントであっても日本では感じられないものでした。国内では、エンジニアであってもその重要性を深く理解し、大前提に置いて思考できる方はまだまだ少数派と感じます。
この状況には強い危機感を覚えます。なぜなら、decentralizationはBitcoinから続くムーブメントの根幹を成す概念だからです。
It’s important to note: if you compromise decentralization, then there is no long-term value.
重要なこと: もしdecentralizationを妥協するなら、そのプロダクトの長期的に見た価値はゼロである
- Fundamental questions around web3/blockchain value accrual:Evan Van Ness
この記事を書いてゆく上で、以下の前提を置きます。
・非中央集権化、分散化、などと訳されることもありますが、意図的に使い分ける箇所以外はdecentralizationの表記に統一します。
・ALISは現状まだまだcentralizedですが、そこは全力で棚に上げて書きます。(まあフルスロットルでdecentralizationを指向するよ、ということで。ここはひとつ)
定義についてはヴィタリクが整理してくれているので、以下こちらを引用してゆきます。
Decentralizationには3つのタイプがある。アーキテクチャ・政治・ロジック(Architectural, Political, Logical)の3つの軸で語られる。
アーキテクチャの軸はブロックチェーンが物理コンピュータ何台で構成されているか、そのうち何台が同時に故障してもシステムが成り立つか。
政治の軸はいくつの組織や個人がシステムを構成するコンピュータの決定権を持つか。日本語で非中央集"権"と訳された場合、この軸で語られていると見て良いでしょう。
ロジックの軸はシステム全体として単一に振る舞うか。半分に分割したらそのどちらもが独立したユニットとして完全に機能するか。例としては単一のステートを全体で共有するか否かという話で、Ethereum等のブロックチェーンは通常この軸ではcentralizationを指向します。
Blockchains are politically decentralized (no one controls them) and architecturally decentralized (no infrastructural central point of failure) but they are logically centralized (there is one commonly agreed state and the system behaves like a single computer)
ブロックチェーンは政治的にdecentralized(誰もコントロールできない)、アーキテクチャ的にdecentralized(1箇所が停止すると全体が停止する、というポイントが無い)、しかしロジック的にはcentralized(そこには全体で合意された一つのステートがあり、一つのコンピュータのように振る舞う)
これがブロックチェーンの特性であり、ブロックチェーン以前にはコンピュータ・システムでは実現不可能だったことです。
この記事では、ロジックの軸のcentralizedは前提に置いて思考から排除し、単にdecentralizationと記載した場合は、その他の上記特性を指向することを意味します。すなわち、障害耐性(Fault tolerance)、攻撃耐性(Attack resistance)、談合耐性(Collusion resistance)を指向すること、何者にもそのシステムが脅かされないためのdecentralizationを意味します。
以上を、本記事におけるdecentralizationの定義といたします。
decenctralizationによりもたらされる次のWebは、時としてWeb3.0(あるいは単にWeb3)と呼ばれます。これはいわばバズワードであり、合意された明確な定義は見当たりません。(過去にそう表現された技術もありました)
しかしdecentralizationのムーブメントやその中心を担うであろうブロックチェーン等trustlessなシステムの隆盛を俯瞰すると、確かにメジャー・バージョンを1つ上げたくなる気持ちもわかります。(ティム・バーナーズ・リーが使った言葉ですしね)
良い機会なのでここで明言いたします。私は次のように考えています。
decentralizationは今後広く浸透しまったく新しいWebを形作る。これは確定した未来であり覆すことはできない。
このように確信とも言える(いささか気味の悪い)考えを持っているわけですが、それにはもちろん理由があります。ひとつずつご説明いたします。
ティム・バーナーズ・リーの言葉通り、今のWebには大きな問題があります。その一つが過度な中央集権体制です。
ヨーロッパの帝国主義の全盛期には、征服者や商人は、色のついたガラス玉と引き換えに、島や国をまるごと手に入れた。二一世紀には、おそらく個人データこそが、人間が依然として提供できる最も貴重な資源であり、私たちはそれを電子メールのサービスや面白おかしいネコの動画と引き換えに、巨大なテクノロジー企業に差し出しているのだ。
- ホモ・デウス/ユヴァル・ノア・ハラリ
現代における個人情報は石油のように価値ある資源とされています。実際GoogleやFacebookはそこから莫大な利益を得ています。
ここにはまず一つ、私達の個人情報が収集され監視されるというシンプルな気持ち悪さがあります。彼らは私達の気付かないうちに、取れる情報は根こそぎかき集めようとしています。なぜなら、それが彼らの収益源だからです。
外部の調査機関によれば、AndroidデバイスがGoogleに送る情報はiOSデバイスがAppleに送る情報の10倍である
- Forget the New iPhones: Apple’s Best Product Is Now Privacy
(補足:Appleのようなプラットフォームにも中央集権化による重大な問題が存在します)
全体主義のディストピアを描くジョージ・オーウェルの1984において「ビッグブラザーは見ている」という有名なセリフがあります。これは監視社会を象徴するスローガンに過ぎませんでしたが、現代社会ではGoogleやFacebookが実際に私達を見ています。
フェイスブックが依頼した最近の研究の結果は、人間の性格や気質の判断に関して、今日すでにフェイスブックのアルゴリズムのほうが、当人の友人や親、配偶者と比べてさえ優っていることを示している。
- ホモ・デウス/ユヴァル・ノア・ハラリ
次に、その個人情報は誰のものかという観点があります。個人情報に限らず、ティム・バーナーズ・リーの言う通り個人のデータは個人に帰すべきです。購入・作成したコンテンツ、ID、ソーシャルグラフ、レピュテーション、ログ、etc..。それらが収益を生むのならなおさらです。
サービス運営者はプライバシポリシー(誰も読まない)にそのあたり明記し、それを遵守していると主張するかもしれません。しかしそこには中央集権者へのtrustが必要となります。そしてその除却を我々が指向すべきであることは、つい先週イギリス議会が公開したFacebookについての調査資料からも明らかです。
そして過度な中央集権には、もっと差し迫った現実的な懸念があります。アメリカやイギリスでは、ドナルド・トランプの大統領選挙やブレクジットの国民投票にFacebookのデータが不正に利用されたというケンブリッジ・アナリティカ事件が尾を引いています。
これは、Webの過度な中央集権が実社会へ重大な悪影響を与え始めた例といえます。つい先日、アラン・チューリングによるエニグマの解読で有名なイギリスの諜報機関GCHQのトップが、Facebookは民主主義の驚異となりえるとさえ発言しています。
そのためWebの過度な中央集権は、特にこの事件の当事者である米国や英国を中心に喫緊の大問題として盛んに議論されているのです。
一方、今日のDAppに目を向けてみると、そのUXには依然として多くの課題が残ります。Facebookを置き換えるサービスはすぐには現れないでしょう。
しかし、ここで一つ思考実験をしてみます。もし同レベルのユーザ体験が得られるとしたら、ユーザはどちらを選択するでしょうか?
・自分のデータが特権階級のさらなる収益に貢献するサービス
・自分のデータが自分自身の利益のために利用できるサービス
答えは自明です。
論点は、じゃあUXは改善されるの?という話ですが、これは確実に改善されます。そのためのDEVCONであり、そのためのコミュニティです(時間軸の意識は必要ですが)。世界中の才能が今まさに、強い熱意を持ってdecentralizationに本気で取り組んでいます。そしてそのコミュニティは年々拡大しています。
centralized、あるいはdecentralizedなシステムのどちらが次の時代に勝利するか。この問いは、どちらがより良いプロダクトを提供できるか、さらに言うとどちらがより良いデベロッパや起業家を惹きつけられるかという点に収束する
- Why Decentralization Matters/Chris Dixon
上で"熱意を持って"と表現しました。いつの時代も変化を起こすのは熱意を持った人々ですが、この領域も例外ではありません。Webに限らず、過度な中央集権はその宿命として容易にその系を暴力装置へと変換し得ます。サトシ・ナカモトがBitcoinで指向したのは、いわば迂遠でわかり難い定量化された暴力であるところの貨幣システムからの、その中枢の除却です。そこには安易にアナーキズムと切り捨てられない深遠さ、大義とも言える意志があります。今取り組むのにこれ以上面白い領域もそうは無いでしょう。
ブロックチェーンの技術選定を軸に、以前そのあたりを書きましたのでよろしければ御覧ください。
今後、西海岸がCoolだった時代は徐々にシュリンクするでしょう。テックの巨人たちにさらなる富と権力を集中させる。そこにどれだけの大義があるでしょうか?
decentralizationの観点で思考した場合、どこかの都市にエンジニアや起業家、富やナレッジが集積するのはナンセンスです。decentralizationはブロックチェーン技術のみで成し得るものではありません。地理、国家、人種、ガバナンス、CPUやネットワークのスペック、クライアントソフトウェア、マイニングマシン(PoWの場合)、etc...。それら構成要素全てに注意を払い、分散化を指向する必要があります。最終的にはプロトコル・レベルでその多くを担保できるのが理想ですが、少なくとも現時点では入念に気を配る必要があります。(すべてのノードが北京に集中するチェーンを使いたいでしょうか? これが西海岸でもさほど変わりません。No, thank you.)
この観点は非常に込み入っており、傍から見て容易に理解できるものではありません。だからこそdecentralizationを妥協した近視眼的プロトコルも不適切なまでに高く評価されます。しかしdecentralizationを深く理解すれば全ては自明です。何に価値があり、何がそうでないか。それが明確にわかります。(とはいえ、もっと可視化されてしかるべきでしょう。なので後ほどdecentralizationの定量的な評価について言及します)
GoogleやFacebookは、敵対しそうな企業やサービスを買収することでプラットフォームに飲み込んできました。そうして中央集権体制を維持してきましたが、今回はそうはいきません。
断言しますが、GoogleやFacebook等のテック大手が同様の手法でWeb3を牽引することはありません。それはない。なぜなら彼らがWeb3企業を買収した瞬間、その企業は中央集権の一翼を担うこととなりその根源的な価値は損なわれるからです。decentralizationを指向するコミュニティがその企業やプロダクトのエコシステムを支持することはないでしょう。
もっとも、理想的にdecentralizationが成されていれば買収できる単一障害点(single point of failure)は存在しません(「ビットコイン逮捕!」)。また、そうはいってもテック大手がWeb3において果たす役割は、エコシステム、特に要素技術への貢献という意味で小さくないでしょう。GAFAは今までだんまりを決め込んでいましたが、そのうち3社は2018年にこぞって参入しましたしね。
いろいろと新旧対立を煽ることを書きましたが、しかし結局のところそのような二元論は非建設的でしょう。現時点で誰も見えない想像の埒外に潜む止揚、新旧渾然一体のWebがおそらくは次の姿です。
ベンチャーこそdecentralizationを指向すべき理由
上に書いたとおり、テック大手は対処しあぐねいています。さらに国内に目を向ければ、今何が起きているかを理解する大手は皆無です。たとえ理解しても、企業体の大きさに反比例してdecentralization文脈では動きづらい。今回は大きなパラダイムシフトです。ゲームそのものが変わる時、ステークホルダーの多さは動きの鈍さです。decentralizationにベットする? その先に何があるのか?
しかしその先に何があるにせよ、ベンチャーや、組織形態に関わらず小規模なチームにとっては、このdecentralizationのムーブメントはこれ以上に無いチャンスです(既存の枠組みの延長で"ベンチャーにとってチャンス"と表現して適切かどうか難しいですが)。
先に述べたとおり、Webはdecentralizationへと向かうでしょう。サトシ・ナカモトが、提案や設計だけでなくBitcoinを実装し運用しそれを軌道に乗せる離れ業で可能性を示した時点でこれはもういわば既定路線です。往々にしてインパクトの大きい変化は先が読めず、容易には把握しづらいものです。現時点で先に何があるか明確に言える人は皆無でしょう。いたら詐欺師です。
しかし、不確かな近未来に前のめりでベットするのがベンチャーの本懐とも思います。楽しいですしね。
訳者一同は次のように考えている。インターネットが世界に与える影響は、まるで産業革命のように社会全体に及ぶ。ところが、インターネットを一言で説明するのは至難の業である。これまでの通信の常識だけでは、どうやら「インターネット感覚」には達しないようである
- 1994年:Interoperability in Today's Comuputer Networks/CC0
decentralizationへ取り組む上で、時間軸の意識は重要です。プロトコルや要素技術、UI/UX、世間のリテラシー向上等を考慮すると1〜2年の短期スパンで思考すべきではないでしょう。それでも今すぐに取り組んだほうが良いと思えるのは、上記の通りみんな理解していないからです。また、必要とする知見が多岐にわたるからです。猫も杓子も取り組みだしてからキャッチアップするのでは後塵を拝すことになるでしょう。
そして、非常に正直に申し上げると、decentralizationへ取り組んだ末にいわゆる資本主義的・経済的な「成功」があるかはわかりません。知ったことではないですね。まあ勝手に付随すると考えていますが、そこを主軸に据えると筋の良い意思決定はできないでしょう。かつ軽視するとチームが保たないでしょうから、そのあたりはバランス感覚が重要ですね。(ちなみに私がこんな眠たいこと言ってられるのは、この点で共同ファウンダー2人が私よりも遥かに優秀であり、メンバー含め地に足が付いているからです)
取り組むべき理由は上で書いたものの、しかしdecentralizationは茫漠としすぎているように思えます。
そこでここでは、decentralizationを定量的に評価する試みとしてCoinbase CTOであるBalaji S. Srinivasanが提案するminimum Nakamoto係数(by Quantifying Decentralization)を引用してご紹介します。まだまだ荒削りで問題点の指摘もあります。しかしdecentralizationの定量的な評価は、情報の非対称性を隠れ蓑に少々不誠実な勝負を行うプロトコルを見抜くのに有用です。decentralizationを妥協するならスケーラビリティの担保など実に容易なのです。もちろん詐欺プロジェクトの除却や、暗号通貨・ブロックチェーンが無謀な投機筋に振り回されるのを減らす意味でも重要です。
minimum Nakamoto係数は、経済学者が富の不均衡を定量化するために用いるジニ係数とローレンツ曲線の知見を応用しています。ローレンツ曲線は世帯と所得の累積比を軸にその関係をグラフ化したものです。(このセクションの図はすべて元記事からの引用)
上の図の赤い曲線がローレンツ曲線で、直線から離れるほど、ジニ係数(G)は増加し0から1の値を取ります(ジニ係数を求める方程式はこちら)。ある国家の所得の不均衡を定量化する場合、G=0であれば完璧に平等、G=1であれば所得はすべて一世帯に集中していることを意味します。通常ローレンツ曲線は上の図の2や3のように、その名の通りカーブを描きます。
minimum Nakamoto係数はこれらの指標を用い、以下のように算出します。
・非中央集権システムの基本的なサブシステムの数を数える
・いくつのエンティティの侵害でサブシステムがコントロールされるか測定
・その数値の最小の値をシステムのdecentralizationの指標とする
元記事では、minimum Nakamoto係数を算出するために、系をマイナー、クライアント、開発者、取引所、ノード数、アドレス数という6つのサブシステムに分けています。(あくまでdecentralizationの定量化を議題に乗せるための暫定的な区分です)
適切な値を取得するために、各項目には微調整が加えられています(例:アドレス数は残高の最低額を設けるなど)。その上で、BitcoinとEthereumの値をプロットした図が以下のとおりです(以後の値はすべて2017年7月時点)。
さらに、各サブシステムのジニ係数を算出し、その最大値がざっくりとしたシステムのdecentralizationの指標として使えます。
この場合、Bitcoinが0.915, Ethereumが0.92となります。クライアントの多様性に改善の余地があることが可視化されました。
しかしこの値には課題があります。それはサブシステム間の関係性を無視しているという点です。あるサブシステムはジニ係数が1に近似する傾向があり、他はそうでもない、という場合が考慮されていません。
そこで元記事では、ジニ係数を算出したローレンツ曲線から新たに、いくつのエンティティを握ればその系の51%のコントロールが掌握できるかという数値をNakamoto係数として提案しています。(51%の閾値をサブシステムごとに適切な値へ調整したものをmodified Nakamoto係数として併記)
上の図は赤く染められたエンティティのみで系の51%を超えることが示されていおり、そのエンティティ数が8であることからNakamoto係数は8です。そしてサブシステム横断でこの係数を算出した場合の最小の値が、系を掌握できる最小のエンティティ数=minimum Nakamoto係数となります(係数を求める詳細な方程式は元記事を参照)。
改めてBitcoinとEthereumの検証結果を確認してみましょう。
上記のように、minimum Nakamoto係数はどちらも1となります。ノードのクライアントがBitcoin Coreやgethに偏りすぎている事が可視化されており、たとえばEthereumにおけるdecentralizationの改善は、まずはParity等のgeth以外のクライアントの利用率向上が効果的であることが示されました。
上で確認したminimum Nakamoto係数は、サブシステムの切り方でいくらでも結果が変わります。元記事でも、今回はあくまで提案を行う叩き台としての試行であり、完璧な区分ではないと言及されています。
今後、拡大してゆくdecentralizationのムーブメントを真に意味あるものとするためには、プロトコルや要素技術の改善と並行して、恣意性に左右されないdecentralizationの定量的な評価の手法も確立してゆく必要があると言えるでしょう。
Many have said that decentralization is the most important property of systems like Bitcoin and Ethereum. If this is true, then it is critical to be able to quantify decentralization.
誰もがdecentralizationはBitcoinやEthereumのようなシステムにおいて最も重要な特性だと言う。それが本当ならば、decentralizationを定量的に評価できることは決定的に重要な意味を持つ。
- Quantifying Decentralization/By Balaji S. Srinivasan and Leland Lee
以上、長々とdecentralizationについて書きました。本来はこれの14倍くらい書きたいのですが自重します。
物事において、ずれた方向に努力することほど不毛なことはありません。何もしないより悪い場合すらあります。この領域においてdecentralizationを意識しないのは、画竜点睛を欠く行為と言えるでしょう。ぜひリサーチを行い、ご自分で深く思考してみることをお勧めします。
冒頭に記載した一文を再度、付記いたします。この領域でアクションを起こすなら、decentralizationについて学び、深く思考し、得心できれば取り組むべきです。今すぐに、この瞬間から、全力で。
先にも述べましたが、ALISはまだまだcentralizedな状態です。Fat Protocolsと語られるこの領域で、かつプロトコル改善フェーズの今にあって、しかしアプリケーションレイヤーから展開しようというALISの行動は、ともすればそのずれた方向への努力にも映るかもしれません。
しかし個人的には、あらゆる意味でコミュニティ形成のゲームであるこの領域において、ALISは実に面白いポジションに立っていると考えています。さんざん地雷を踏むことになるとはいえ、走り出さないことには結局のところ何も見えてこないよねと。
この領域ではすべてがドラスティックに、恐ろしい速度で変化してゆきますが、しかし我々のdecentralizationへの指向という軸がぶれることはありません。むしろ新年にあたり加速してゆきます。今年は春にクローズドβの公開へこぎつけ、おかげさまで何はともあれ走り出せました。我々は今後リソースの許す限りエコシステムへの貢献を行ってゆくとともに、より本腰を入れてdecentralizationを指向してゆきます。
それでは。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
・ALIS CTO 石井(@sot528)
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