名誉のため名前は伏せますが、
僕は、ある丼のお店に訪れた。
そのときは早朝だった。
必ず、最初に渡される水。
そこには虫が入っていた。
日本人なら
「すみません、虫入ってたんですけど」
と申し出るだろう。
もちろん私も、言った。
と、なるはずだった。
私は考えた。
水に虫が入っていた。という、ことばを。
あれ、
そりゃ地球だし、虫くらい入りうるやろ。
そもそも、虫が入っていた。だからなんやねん。
そのときは早朝で、お客さんの割りに少ない店員数(一人で回している?)だった。
日本にいるから、みんなは虫の入った水を拒否するが、もうここはグローバルだ。
ここは日本じゃない。地球だ。
私は、私の価値観に従い、行動しても良いのだ
と、自分に許可をした。
私は、その虫を水からどけて、その水を飲んだ。平然と、何事もなかったかのように。
しかし怖くなった。
感染症など、大丈夫だろうか。
いや、いまから食べる丼も、危険ではある。
日本は水道水の飲める数少ない国だ。
僕は物心ついてから海外旅行をしたことがない。(3歳のときは行ってたらしいが、記憶にない 笑)
しかし、この国以外の現状を、想像することができる。ネットだ。
"水溜まりの泥水をすする子どもたち"を、私は想像した。
僕はどうだ。
こんなにも綺麗な水が飲めるなんて。
テクノロジーが発展し、似たような人たちで集まり、多様性がなくなっていく。
多様性は、「みんな違うところを向いていて、でも、それでいい。」という感覚だと考える。
マンションの30階から高速道路に向かって椅子をおとしても、一定数のフォロワーのいる美人なら、保釈金を払うだけで出られる。むしろ、過激さがメディアで取り上げられ、さらにフォロワーを獲得できる。(実際に似た事件があった。)
もちろん、店員に、
「虫が入っていた」
と言うことも良いだろう。
それにより店員は、以後、気を付けることができる。
だが、その虫は、店員が意図的にしたことではない。
大阪から北海道までヒッチハイクしたとき、
僕は日本でありながら、いろんなタイプの人と出会った。
ときどき、こう聞かれることがある。
「どんな人が乗せてくれたの?」
家族づれ、おじさん、OL、若い会社員、職人、ハーフ、トラックの運転手。さまざまだ。
そして、「乗せてくれなかった人」もさまざまだ。
無愛想、無視、不機嫌
他にも
がんばれよ!と声をかけてくれる人。ここまでなら乗せれるよ!と言ってくれた人。メロンパンをくれた人。
誰が良いなんてない。
僕にとっての良いはあるけれど。
それだけ多様性があって、
そんなこと変だよ。となっても、それがどう変なのか。
むしろ変な方がいい。
それがどうかなんて、人が決める。
AIが良いのか、悪いのか。
人殺しは良いのか、悪いのか。
虫の入った水を飲むことは、
良いのか。悪いのか。
相談したっていい。頼ったっていい。
でも、
他人に答えを求めるな。
そんなこと、
自分の頭で考えろ。
だから僕は、虫の入った水を飲む。
ここまで読んでくれたあなただけに、
TODAY IS A GOOD DAY FOR YOU...