
30才を超えてから、映画のストーリーを忘れてしまうことが非常に多くなりました。なにか綺麗だった、見ていて面白かった、機会があったらまた観よう、とまでは覚えているのですが、最後どうなったか思い出せなかったり、テーマがなんだったかも思い出せないことが増えました。さすがにちょっと勿体ないような気がしてきて、最近はちょっと鑑賞メモをつけるようにしています。
ただ、単なるメモだと結局後から分からなくなってしまうので、ちょっとしたゲームをしています。それは、太宰治の『人間失格』の中にでてくるアントゲームです。一つの単語に対して、対義語(アントニム)を当てるというものです。
これに似た遊戯を当時、自分は発明していました。それは、対義語(アントニム)の当てっこでした。黒のアント(アントニムの略)は、白。けれども、白のアントは、赤。赤のアントは、黒。
「花のアントは?」
と自分が問うと、堀木は口を曲げて考え、
「ええっと、花月という料理屋があったから、月だ」
「いや、それはアントになっていない。むしろ、同義語(シノニム)だ。星と菫だって、シノニムじゃないか。アントでない」
「わかった、それはね、蜂だ」
「ハチ?」
「牡丹に、……蟻か?」
「なあんだ、それは画題(モチイフ)だ。ごまかしちゃいけない」
「わかった! 花にむら雲、……」
「月にむら雲だろう」
「そう、そう。花に風。風だ。花のアントは、風」
「まずいなあ、それは浪花節の文句じゃないか。おさとが知れるぜ」
「いや、琵琶だ」
「なおいけない。花のアントはね、……およそこの世で最も花らしくないもの、それをこそ挙げるべきだ」
「だから、その、……待てよ、なあんだ、女か」
「ついでに、女のシノニムは?」
「臓物」
「君は、どうも、詩(ポエジイ)を知らんね。それじゃあ、臓物のアントは?」
「牛乳」
「これは、ちょっとうまいな。その調子でもう一つ。恥。オントのアント」
「恥知らずさ。流行漫画家上司幾太」
「堀木正雄は?」
この辺から二人だんだん笑えなくなって、焼酎の酔い特有の、あのガラスの破片が頭に充満しているような、陰鬱な気分になって来たのでした。
太宰治『人間失格』
と、アントゲームはこんな言葉遊び、概念遊びです。この引用にあるように、アントゲームの中には、シノニムという概念もあります。ですので、アントは " ⇅ "の記号、シノニムは " = "の記号を使ってノートにメモしてあります。
割と有名な映画についてのメモを確認すると、
記憶=願望
記憶⇅事実
自由⇅善
退屈⇅罪
ヴェートーベン第九=雨に唄えば
化粧=悪行
名前⇅数字
プライド⇅愛
仲間=闘い
権力⇅平和
羨望=異端
愛⇅計算
fool = beautiful
私が書いたこのメモをみて、「あぁ!」と思う方もいるかもしれないし、そんな映画だった?と疑問に思う人もいると思います。でも、他人の感じ方は重要ではありません。この遊びの大切なところは、うまく映画の内容を人に伝えることではなくて、自分的にぴったりとした概念カテゴリーにしまうために、ストーリーを頭の中で再構築するという作業をすることです。観終わった後、その一手間をちょっとするだけで、映画について格段に、後から思い出せるようになります。
自慢じゃないですが(いや、過去自慢かもしれない)、意味記憶と呼ばれる単純な数字や単語を覚えるのは苦手でも、エピソード記憶やストーリー記憶と呼ばれる方は得意だ思っていました。ところが、だんだん、エピソード記憶力も落ちてくるとは、、、、。もしかしたら、いろんな事を忘れて行く方が、自然の摂理なのかもしれないです。人生にとって大切じゃないから忘れているのかも。同じ映画をいつも新鮮に楽しめるようにしてくれているのかも。
ただ、昔できていたことができなくなるというのは、やはり不安なことで。まだもう少しだけ、老いとあらがってみたいので、出来るだけ多くの事を記憶に留められるように頑張ってみようと思います。
似たような方がいたら、ちょっとやってみてください。もしくは、ご自身の記憶方法を教えてください。












