8歳の時。
学校が終わっても
直接家に帰れなかった。
この頃の俺の親は
共働きで
学校が終わって家に戻っても
誰もいなかった。
なので
子供の一時預り所に入れられていた。
この預り所の名前は
「どんぐり学童クラブ」
当時月額500円で
夜6時まで預かってくれた。
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ここのどんぐり学童クラブには
3人の先生がいた。
土屋先生(男)
山田先生(女)
白山先生(女)
この中の白山先生は
栄養士の資格を持っていて
おやつを作る料理担当の人。
当時この先生は
1人当たり1日120円の予算で
おやつを用意しないとならなかった。
しかし感情の起伏が激しく
よく120円の予算でおやつをる来る事に
みんなに聞こえる位の声で悲鳴を上げる。
白山先生が悲鳴を上げるたび
山田先生がなだめて
ようやく落ち着きを取り戻していた。
しかし俺は
白山先生がヒステリーを起こしても
なんとも思わなかった。
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その理由は
俺の母親や父親が俺を怒る時の方が
全然怖い。
しかし他の子供達は
かなり怖がっている。
そんな状態だから
みんな白山先生に近づかず
孤立してしまっていた。
たまにヒステリックが暴走して
怒鳴り散らす事もある。
そんな時は
土屋先生と山田先生2人がかりで
押さえつけて説得していた。
しかし
そんな状況でも
俺の父親と母親は
マジでぶん殴るから遥かに怖い。
こんな事がよくあるが
俺にとっては
どうでもいい光景だった。
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白山先生のヒステリックは
徐々に回数が多くなっていく。
その光景を見ている他の子供達は
きっと凄く怖かっただろう。
こんな事が続いていたある日
とうとう土屋先生と山田先生と話し合い
学童クラブを辞める事になったようだ。
この事は
我々子供達に何も知らされず
この事が話されるのは
半年先だった。
翌日
学童クラブに行ったら
突然白山先生がいなかった。
俺は
白山先生の事を土屋先生に聞いたが
「長い間お休みするよ」と
それだけ言われた。
そしてしばらくの期間
山田先生がおやつ担当をする事になる。
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白山先生がいなくなって1週間後
新しいおやつ担当の先生が来た。
その人は
浅田先生と言い
凄くおとなしそうで気が弱そうな人。
みんな「この人なら大歓迎だよ!」と
大喜びしていた。
この時やっと俺は
白山先生は
この学童クラブを辞めたんだなと気が付く。
何で辞めたか先生に聞いてみたら。
「病気になったんだよ」と言う。
でも何となく俺は
「辞めさせられたのかな?」と感じた。
何故か
そんな事を思うと
白山先生が可哀そうでならなかった。
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数日後
新しい浅野先生の歓迎会を込めて
ヨモギ餅を作ろうという事になった。
この学童クラブは
予算的に厳しいので
江戸川土手にヨモギを刈りに行く事にした。
江戸川土手までは
歩くと30分位の距離があるが
バスを使える予算もなく
歩いていく事になった。
そして江戸川土手に到着し
早速ヨモギを取り始める。
でも
ヨモギの形がよく解らず
ヨモギと違う物も
たくさん取ってしまった。
でも山田先生に見せると
その中からヨモギだけを選別してくれる。
俺は
「よくヨモギが解るな」と
凄く感心してしまった。
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1時間くらいヨモギを刈り
かなりのヨモギが集まった。
多分ヨモギだけで
1週間位食べ続けても
無くなりそうもない量だ。
その大量のヨモギを手に入れ
ウハウハの状態で我々は
学童クラブに帰る事にした。
帰り道
別の学校の学童クラブの前を通った。
そうしたら
その学童クラブで
なんと白山先生が働いてる出わないか!
白山先生は
校庭で凄く楽しそうに子供達と遊んでいた。
我々は
ビックリして大声で「白山先生ー!」
と呼んでみた。
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白山先生も我々に気が付き
一瞬逃げようとする動作をした。
でも
ここの学童クラブの子供達に
「先生!あっちで呼ばれてるよ!」
と言われて観念した顔をする。
そして
バツが悪い顔をしながら
我々の所に来てくれた。
この時の土屋先生は
「なんで?なんで?なんで?」を
連呼していた。
きっと色々聞きたい事があったのだか
あまりにも情報が多すぎて
処理しきれないでいたのだろう。
俺は
白山先生に「もう戻ってこないの?」
そう聞いてみた。
この時白山先生は
「もう戻れ無いのよ」と
俺にとって1番残酷な事を言ってきた。
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今まで俺は
クラスの仲が良い子達が
たくさん転校してしまい
一生のお別れを何度も経験していた。
だから「もう戻れない」と言う言葉が
一生会えない事だと感じてしまった。
しかし
もうどうにもならない事だから
「またかよ」と思い
諦める事にした。
この後しばらく
土屋先生と山田先生は
何やら白山先生と会話していた。
でも俺は
もう何も話しかけられず
悲しくなっていた。
そして
白山先生との会話も終わり我々は
学童クラブに戻ることにした。
帰り道に俺は
ずっと「(´・ω・`)ショボーン」としてしまい
誰とも話さず歩き続けた。
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そして我々は
学童クラブに到着したが
既に6時近くになっていた。
なので
ヨモギ餅作りの続きは
翌日する事にした。
この学童クラブには
餅つき用の臼があるから
それでお餅つきをする事にる。
そして翌日
予定通り
お赤飯で餅つきをする事になった。
そこで土屋先生から話があると言う。
土屋先生が言うには
「白山先生がこのお赤飯を
お別れの挨拶として差し入れしてくれました!」
と話した。
俺は
「このお赤飯は
きっと白山先生の謝罪なのだろうな」
そう感じた。
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そして
お餅をみんなで順番に突く事になり
俺の順番も回ってきた。
俺は
この自分の力では
どうに出来ないお別れが
非常に悲しい。
その気持の感情を暴走させて
我を忘れ思いっきり餅つきにぶつけてみた。
そんな風に餅をついていたら
水差ししていた土屋先生は
水差が危なくて出来ない。
そして
しばらくして土屋先生に止められ
やっと我に返った。
俺は
息が上がる位おもいっきり餅をつき
だいぶ気が済み
次の人に交代した。
そして大量のヨモギ餅が出来上がり
食べてみると意外に美味しく
白山先生の事を忘れてしまった。