修学旅行の始まりは
東京師範学校と言う現在の
筑波大学によって実施された
軍隊風の長途遠足と言う物でした
1886年2月15日から25日にかけて
99名の男子生徒で長途遠足が行われ
軍服で軍用装備を持ち東京から
千葉県の銚子まで歩いて行きました
長途遠足の目的が気象観測や測量や
動植物の採集や写生や名所巡りや
貝塚の発掘や学校の見学など
軍隊に必要な知識を学びました。
長途遠足の報告書を書く時
長途遠足でなく修学旅行と書かれて
これ以降長途遠足の事を
修学旅行と呼ぶようになりました。
1896年長崎県立長崎商業学校という
現在の長崎市立長崎商業高等学校が
上海への修学旅行を敢行し日本初の
海外修学旅行として記録されてます
日本の教育において修学旅行は
知識の獲得だけでなく
実地経験や実践的なスキルの習得に
重要な役割になりました。
戦前に行われた修学旅行の日程は
例として1937年6月に行われた
足立区小学校の参宮修学旅行の
記録が今でも残ってます。
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この修学旅行の一カ月後には
日中戦争が始まりましたので
社会の雰囲気はまさに開戦前夜の
鬼気迫る世界情勢でした。
この時の修学旅行は
伊勢神宮に行く事をメインに
現在の修学旅行で行く奈良と京都は
ついでに行く場所になってます。
というのも当時の政府が伊勢神宮を
神社の最上位「我が国の宗門」とし
国民精神を統合するための
国家的なシンボルとしていたのです
なので「日本国民は
伊勢神宮へ参拝するべきである」
という考えを刷り込まされ
修学旅行の行先に選ばれてました
やがて1930年代半ばから伊勢以外に
その近隣の奈良や京都も一緒に巡る
関西修学旅行と言う物に変わり
行き先が多くなっていきます。
この変化の元になったのが
江戸時代の人が伊勢参りを口実に
京都や奈良も巡って一生に1度の
観光旅行をしたのが元です。
当時の移動が夕方に学校に集合し
夜行列車に乗って翌朝伊勢に付き
すぐに伊勢神宮で参拝して
そこで御神楽を奉納しました。
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しおりに「神域内では静粛に」や
「参拝前に服装を整える」と書かれ
当時の人々にとって伊勢神宮が
いかに威厳が高かったか伺えます。
更に京都に行った時には
明治天皇の墓の桃山御陵も参拝し
当時の皇国史観に基づいて
予定を組まれてた事が解かります
しかも移動に臨時列車が使われ
しおりに「臨時列車の汽車は
座席が決まっています」と明記され
とても豪華だったみたいです。
子供たちが寝台列車に乗る時
寝台板を用意して夜行列車に乗り
この方式が修学旅行専用列車の
引き回し臨時列車の原型なのです
伊勢神宮参拝の2日目や
奈良公園周辺観光の3日目は
日程に余裕がありますが4日目が
京都の観光名所を1日で周ります
本能寺や京都御所や金閣寺や
北野天満宮や平安神宮や清水寺
八坂神社や三十三間堂を1日で行き
もの凄い詰め込み日程になってます
子供たちにとってこの修学旅行は
団体での参拝や見学や共同の食事
布団の共有等を通じて友情を深め
非日常の経験ができる機会でした