むろまちです。
実は、人知れずクリスマス退職キメてきました。
読むのに7分くらいかかるのでちょっと長いけれど、離職に至るまでの経緯とこれからをつづります。
僕は、あります。
文系大卒の僕が2014年4月に入社した自動車関連会社での仕事は技術職でした。採用過程で人事からは「あなたは文系なので将来的には事務側に回ってもらうけど、まずは現場も知って欲しい」と結局最後まで守られない口約束を交わしましたが、僕自身それを強く望んだ形での技術系部署への配属でした。
当時僕はF1始めモータースポーツにハマっていて、世に出回る前のクルマに関する製品に触れてみたかったからです。
しかし、実際に取り掛かった製品はクルマとは全く関係の無い物でした。それだけでモチベーションは落ちたものですが、僕はレンチやドライバーの使い方もろくに知らずに来ているので、まずは勉強と思って粛々と業務に取り組んでいました。(ネジは何個舐めたか、物は何個壊したか。苦い思い出ばかり)
ただ、何もできないクセに報・連・相もできないじゃじゃ馬と来たので日々指導役の先輩に迷惑をかける事になります。当時の先輩には本当に辛抱強く目にかけて頂きました。
ある製品を分解する為にプラズマ切断機という溶断機器で切る前、ボタンの試し押しのつもりで【プラズマON】を押したのですが、元出力がONになっていたので案の定高出力のプラズマが放たれまして、目の前の対象に向けてバックトゥザフューチャーで見るようなSF系の青く光った電流が走るのを見ました。(スターウォーズかな?)よく工業系の現場では「電気は見えないからこわい」と言われますが、正直見えた方がこわいです。明らかに触れたら死ぬやつでした。
「バチチチ!!」と大きな音が響いたので人が集まり、状況を説明した所、めちゃくちゃ叱られました。命を落とす危険があるという自覚が全く無かった中でのこの失敗でしたので、今でも思い出しては自分を戒めます。
1年目にそんな一件があって、「自分は向いていないんじゃないか」とか色々考え悶々と過ごして、2年目の頃にはいつの間にか「辞めたい」に変わっていたのはやばかったなぁと思います。辞める為の唯一の希望は「一攫千金をかけて大量買いしたボロ株」でした。頭はずっと悪かったですね。
端折りますが、2017年(4年目)の異動から流れが大きく変わりました。仕事自体はさすがに様にはなってきましたが、残業がとても少ない事もあってプライベートな時間が増えたのです。
それまでは空いた時間は学生時代の延長で草ソフトボールをしていたのですが、突然すっぱり辞めて「何が起きても生きていけるように」をテーマに社外活動をスタートします。日本や会社、自分の位置を見て、将来を憂いていたからです。その頃にはボロ株への夢も捨てて堅実な投資に切り替えていました。
そこから2年、何をするにも体験したり間近で見る事でしか得られない知見をひたすらかき集めて、実践しては学ぼうと活動していきます。
・新しいものに時間やお金を投資してみる
・これだと思ったら絶対やる
特にルール付けたわけではありませんが、これが根幹だったと思います。「ワクワクしたら我慢しない」って言い換えた方が良いかもしれません。会社では周りと
考え方が合わなかったり、親がうるさかったり(ありがたい事ではある)する中、当時性格的に意見を言える人間では無かったので抑圧されていたのが爆発して無心で奔走しました。
そしていつしか「小学生時代の延長を過ごす」感覚を得るようになります。—いったい何が?
小学生の頃の僕は今思うととても変わっていて、学校終わりに公園に集まる子供の内訳を曜日別に知り尽くしていました。閉鎖的な狭い団地に50人もいる通学団で、誰が何曜日にどんな塾に通っているか、どんなテレビ番組が好きか、といった情報を全て把握していました。だから来るはずの子が来ない時にはわざわざ家まで行ってインターホンを押して「どうしたの」なんて聞きに行くような、おせっかいを通り越して厄介な奴でした。公園では遊具や球技の新しい遊び方を考えては見本をその子達に見せて遊ばせ、自分はひたすら審判に回るって事をしていました。親御さんたちから怒られたりする事は一度も無かったですが、当時小学6年。周りも疑問に思った様子は無いとはいえ、キモい事してたなぁと思います。でも、みんなが楽しそうにしてるのが毎日楽しみだった。—
こういった経験と社外活動の何に既視感を得たのかというのはとてもおこがましい事だと分かっているので割愛しますが、頭にインストールし直して小学生だった当時の自分が僕の社外活動に合流してくれたような感じがして、それ以降決断したりする際には狂った彼から幾度も勇気をもらいました。
社外で得た経験は会社に活かそうという気持ちがあったり、以前より自信が少しついた事もあり、そのうち社内で意見を言うようになっていました。
エスカレートしていった頃は非常にマズくて、以前空気を読み過ぎていた自分を捨てて空気を読まず思った事はズケズケと物言いをするように。社内で他人にどう見られるとかを考えなくなったのは、現キャリアに一切の希望を抱かなくなった事が原因。そうなってしまったのも、意見を言う度に会社と自分のアンマッチが確認できたからです。
例として、今年の7月にこんな一幕がありました。
上司の対応も振り返ればすごい分かります。こうやってみると僕が未熟であるのもよく見える…多分、僕が上司でもどうにしたって通すわけにはいきません(笑)
でもこの一件で僕自身気付かないうちに社内の業務が円滑に進まなくなるような不協和音を奏でている事、会社にとって不利益なモンスターになってしまった自覚が芽生えて、「そろそろ(辞める)頃合いかな」と思いました。
当時、その後の事は一切ノープランでした。
11月初めに退職願を出すのですが、「からのイベント企画は相当に力を入れ」続けた事が功を奏し、ありがたくもやれる事が増えました。
辞めた今、会社に対してネガティブ感情は無く、多くを学ばさせて頂いたので感謝しています。実業務だけでなく、特に仕事の進め方や考え方といった所では直近まで上司だった方に感謝の念が払えません。
1年目当時の職場ではミスしては叱られてばかりで本当に潰れそうになっていましたが、新人のうちにたくさん失敗して厳しく指導して頂いたのも、それほどに先輩上司には本気で向き合って頂いてありがたく思っています。人間は美化したがる生き物とは言いますが、過去を無かった事にはしたくはありません。自分を戒めるためにも、「苦い記憶」として残しておこうと思います。
6年間、本当にお世話になりました。
今年5月に名古屋で立ち上げたxR Tech Nagoyaという月1開催のxR勉強会は、第8回となる年末回で登壇者9名で3時間、展示総数12に達し、参加人数もここまでの全8回で平均43人と、中規模コミュニティを形成するに至りました。たった1人でxR系コミュニティ不毛だった名古屋に田植えをした、という点では良い仕事をしたのではないかと思います。
企画と準備、当日の進行をするのはもちろん僕でやりますが、集まってきた仲間の助けで行政や教育機関などと繋げてくれる事で企画に幅ができたり、当日のお手伝いを積極的にして頂いたことで今回のスケールに繋がりました。感謝しきりです。
来年は豊作にしたい!という事でさらに規模を拡大して名古屋と言わず東海圏からxR業界を盛り上げていく事、そしてコミュニティ内の会話も専門性が高まっているので自分を含め業界で通用する技術者の輩出を目指します。今後のコミュニティメンバーのそれぞれも楽しみでなりません。
また、xR Tech Nagoyaはバーチャル登壇を推奨して全国一の頻度で行っている団体でもあるので、仲間達やVRM関連企業と『リアルーバーチャル間コミュニケーションのシームレス化』の研究をしていきます。今後の世の中にも貢献できる分野だと思っています。
これから仕事どうするのと言われれば、「今やっている事を整理して、何かやる」と不確定要素満載な返答をしては相手を不安にして回っているのですが、再就職はしないです。
行政にXRに関したセミナーを継続的に行う事、ベンチャー企業さんらに対してスポット的にマーケティングや少々の技術支援をする事、名古屋で民泊事業始める事、その他依頼に出向く等してしばらく生計は立てていきます。
いきますが、もっとこう、むろまち色を押し出した事業をしたいというのが本音です。
だって、自分が全然XRしてない!笑
XRを絡めたものは面白いし、エンタメ領域外ではまだまだ未開拓な分野も多いです。今ぼーっとしてても無限にアイデアが出てくるので、来年内に何かしらワクワクするようなコンテンツを生み出したいです。どれをやるかは選定中です。
そのあたり、また追々ここでお話できたらと思います。
僕は皆さんのやりとりやつぶやき、記事から少なからず影響を受けてきた1人です。
影響を受け過ぎて、ALISに関わった事で人生を変えたと言っても過言では無いと思っています。
だからALISユーザーの皆さんには感謝の気持ちでいっぱいなんです。
いつもありがとうございます!
2020年もまた大変な年になりそうな予感しか無いですが、気を持ってお互い来年末も笑えるように頑張りましょう。
また、来年はさらにフットワークが軽くなるのでテキスト上だけでなくとも、食事なり遊びなり、真面目な話でも関われる事もあるかと思います。ぜひ気軽に声を掛けて下さいね。
それでは、今後ともよろしくお願いします。
2019年のクリスマス、ある中小企業から青い閃光を走らせた男が消えました。
自分のやっている事、今後を話せば周りから理解され激励され、
送別会を兼ねた忘年会では色紙と立派な花束を渡され、
ビンゴ大会では見事に1位を当て1万円分のAmazonギフトを頂き、
ニッコリ円満退社。
とても華やかな1ヵ月半の退社劇でありました。
でも、本番こっからです。
そう思って今日も。