初の所有ハードがSG-1000II、携帯ゲーム機がゲームギアと生粋のセガっ子だった自分にぴったりのムック。
まず1983年のSG-1000から1988年のメガドライブまで、ほぼ一年置きのリリースペースだったことに驚かされる(マスターシステムのみマークIIIの二年後)。
ソフトでなくハードが、である。
アーケードからの移植を軸としていたため、基盤の進化にハードを対応させる必要があったのだ。
また短命と思われたゲームギアが六年もソフト供給されていたりメガドラに次ぐ売上台数だったりと、懐かしさに留まらぬ新発見も。
とはいえPCエンジン購入後はそっちメインになったので所有ソフトは多くなく、「チャンピオンテニス」「シンドバットミステリー(名作!)」「ゴルゴ13」「チャンピオンサッカー」「ピットフォールII」「ガルケーブ(最高!)」の六本。
「ロレッタの肖像」遊びたかった……。
ゲームギアは画面のチラツキがひどくて長時間プレイできず、「タロット占い」と「サイキックワールド」の二本のみ。
あと本誌に関する部分だが誤植が多すぎる。
本体名を、よりによってライバル機のゲームボーイに間違えている箇所も一つならずある。
もう一点。
SG-1000用ソフトの発売日がほとんど記載されていない点について補足。
"現在ほどソフト流通網が整備されておらず、一斉にソフトを小売店に下ろすことができる問屋が確立されていなかった点に起因している。当時のセガはアーケードゲームが事業の柱であって、家庭用ゲーム機ビジネスについては新参者。当然玩具流通や小売店へのコネクションもなかったため、発売日前の注文営業→生産数の決定→発売日に間に合うように一斉発送、という手段ではなく、注文が来る都度に各店舗へセガが直接卸していた(!)ことが理由であった”