以前勤めていた職場のそばに、小さな飲み屋さんがあった。
看板には「キッチンスナック」と書いてあったように記憶している。10席足らずのカウンター席と、4人がけのテーブルが2つ。お店に立つのは基本的に初老のマスター1人で、宴会の予約が入っている時などには奥さんも手伝っていた。
なんと言ってもその店の特徴は、メニューがないこと。「マスター、今日は何かお魚の料理と、あと2品くらい軽くつまめるものが食べたいんですが」と言うと、その日あるもので作ってくれる。これがまた、最高に美味しい。
マスターはお客の顔、名前、そして食べ物の好き嫌いをきちんと覚えてくれていて、「○○さんはトマト苦手だったよね、抜いておいたから」「△△さんは鶏肉が好きだから、こんなの作ってみたよ」と、細やかな気遣いをしてくれる。それもまた、心地良い。
そんなわけで、お店はなかなか賑わっていた。
でも日によっては我々以外には誰もお客さんがいない時もあったりして、それはそれで静かな時間を過ごせた。
ちなみにお酒のメニューも当然なく、「マスター、そろそろ日本酒を…」とお願いすると、「今日はこんなのどうかな?」と、実は結構珍しかったりするお酒をサラッと持ってきてくれたりする。どうやらマスター、自分が飲んで「良い」と思った日本酒しか仕入れていないようだ。
注文の品を作り終わって一息つくと、マスターはカウンターの中で椅子に座り、タバコで一服しながら、お客さんと談笑していたものだ。私はなんだかその姿も好きだった。
そうそう、お店にある電話はピンク色の公衆電話1台で、よく常連さんから「今から行きたいんだけど、空いてる?」なんて電話がかかってきてたっけ。
転職してしまったこともあり、もう2年ほど訪れていない。まだお元気で続けていらっしゃるだろうか。
機会を見つけて、また足を運びたいな。そう思った、冬の寒い夜である。