※はじめに※
この記事は過去にNAVERまとめで公開していた記事を元に書いた記事です。
皆さんは「スカイライン」という車をご存知でしょうか?
ハコスカ、ケンメリ、ジャパン、鉄仮面、都市工学...などの昭和を代表する車達
そしてR32、R33、R34と続いたレースで敵なしと言われた「GT-R」
スカイラインは昭和、平成、そして令和と愛され続ける日産の名車です。
では「プリンス自動車工業」というメーカーをご存知でしょうか?
旧車好きの方は多分ご存知だと思いますが、ほとんどの方はご存知ないと思います。
これからこの「プリンス自動車工業」についての話をしようと思います。
この「プリンス自動車工業」というのはいくつもの企業が合併してできた企業で
大きく分けると「旧立川飛行機系」と「旧中島飛行機系」と分けられているそうです。
今回は「立川飛行機」について説明していきます。
1924年(大正13年)、「株式会社石川島飛行機製作所」が設立されます。
これがのちの「立川飛行機」となる製作所です。
この「株式会社石川島飛行機製作所」は「石川島重工業」が中心となり出資設立されたものでした。この「石川島重工業」という会社は現在「IHI」という企業になっており、三菱重工業(MHI)・川崎重工業(KHI)と並ぶ重工業の企業です。
そんな石川島飛行機は1934年、当時の帝国陸軍に依頼され、中等練習機を開発します。それが「赤とんぼ」とも呼ばれている「九五式一型練習機(キ9)」です。
1936年には日本軍の要請で、工場があった地の名前を取って立川飛行機株式会社になります。その後も多くの練習機や長距離飛行研究機、高高度戦闘機などの開発・生産を行っていました。終戦後も飛行機製造が許可された後にいくつかの軽飛行機を製造していましたが、量産化できず本家の立川飛行機は立飛企業株式会社となり、現在は不動産貸付業をしているそうです。
ちなみに立川飛行機の「キ94」という試作高高度防空戦闘機の設計主務が長谷川 龍雄さんという方だったのですが、この方はプリンス自動車工業には参加せず、トヨタ自動車に入社され、様々な車の主査を担当されたのですが、その車というのが
・トヨエース(初代)
・パブリカ(初代)
・トヨタスポーツ800
・カローラ(初代)
・セリカ(初代)
・カリーナ(初代)
というトヨタの...日本の名車勢揃いのラインナップ....
日本が誇る偉人の方ですね!
ということで次回は「たま自動車編」をお送りいたします。