皆さん、こんにちは。64です。
今回の「懐・古・趣・味」は1984年に当時の電電公社が提供を開始した
「キャプテンシステム」についてです。
時は1970年代後半、当時の電電公社(現在のNTT)は、1978年から始まる第六次5ヵ年計画で今後高度化、多様化が予想された画像通信、ディジタル通信ネットワーク等に関する高度情報化に向けた取組みを始めました。これらの構想のシステムは「ニューメディア」と呼ばれ、世界各国でも開発が進んでおり、北米地域では「NAPLPS」、フランスでは「ミニテル」など多くのニューメディアが実用化されました。
1980年代に入るとついにキャプテンシステムは実用化されました。
テレビをモニターとしたテレビアダプター型端末(キャプメイト)をアナログ電話回線を利用して情報センターに接続することで、センターに蓄積された文字・画像情報の提供を行った。接続時にセンター番号入力することにより、センター番号で指定された情報センターに接続していた。日本電信電話公社が用意した情報センターは、センター番号「36100」でキャプテン情報センター(全国キャプテン)という。まずビデオテックス接続の特番である166をダイヤルし、プププという発信音を確認して、センター番号を入力すると情報センターに接続される。情報センター接続後に表示されるページ間の移動は、画面上に表示されている数字と#(例: 01#)を入力、もしくは*と数桁の数字を入力し移動する仕様になっていた。
実際にできた事としては、ネットショッピングやネットショッピングや座席予約、BBSや、オホーツクに消ゆ、ポートピア連続殺人事件等のゲーム試遊といったサービスの提供を受けることが出来たみたいです。
この時代に飛行機の座席予約が出来たり、ネットショッピングができたりするのはすごいことですよね。
またこのシステムはダイアルアップ接続と同じように、電話回線を利用したシステムだったので、専用端末機器があれば、簡単に利用できるというシステムでした。
通信費は時間課金による従量制で、距離区分はなく全国均一で3分30円、夜間、土・日・祝日は5分30円。
個人での情報発信はシステムの関係上、あまり行われなかったみたいですが、小説家・パズル作家の雅孝司が第1号として6年間、第94代内閣総理大臣の菅直人が第2号として2年間ほど独自のページを運営していたそうです。
しかし1990年代後半に状況は変わります。
1995年に「Windows95」が発売され、パソコンがメインの時代になり、またインターネットエクスプローラーが標準装備されていたので、インターネットがより使いやすい時代へと突入していきます。1999年にはNTTドコモが「iモード」を発表。
これらの時代の流れにより、キャプテンシステムの加入者は減少し、2002年3月31日にサービス終了しました。
Wikipediaにはこう書かれていました。
キャプテンシステムは現在のパソコンや携帯電話などのインターネットの発展に大きな影響力を持つ基礎を固めたシステムといっても良い。オーダーエントリサービスは、現在のインターネットショップとほぼ同じ事が可能である。情報料代行徴収は、携帯電話の情報料を携帯事業者がサービス提供者になりかわり徴収するサービスと同じ発想である。郵便貯金もキャプテンシステムを利用した振込みサービスを行っていたとともに、郵便貯金と情報提供者間での契約をする事によりオーダーエントリで購入した商品を郵貯口座から引き落とす事ができた。また、個人モニターに端末を貸し出した東京都三鷹市や公共端末を鉄道駅や市立施設などの市内公共施設に配置した多摩市、神奈川県厚木市、川崎市などの様に一応の成果が見られた事例もあった。厚木市の場合、ニューメディア事業の一環として第三セクターの運営会社を起ち上げていた。
もし個人での情報提供が容易に可能な環境が用意されていれば、当時「高度情報通信社会」と呼ばれていた21世紀初頭現在のような状況が、20年以上早く実現していたとされる。
キャプテンシステムにより、現在の情報社会の発展が行われ、
ネットショッピングやネットバンキングなどの皆さんが利用してるサービスが
始まったということです。
30年以上も前からこんなシステムがあった日本はすごい国ですね。