バーンの問題、ALISの価値向上の問題、プラットフォームのカスタマイズの問題などを考えていて、ビジネスについては素人の私が思ったことをメモする。
ALISの世界を形成しているのは、ALISという会社、資本家、ユーザーの三つの鼎であると思う。
この三者の中にALISの価値向上や、社会的評価の向上を望んでいない人はいない。
皆でそれを目指している道の途上だ。
しかし、その三者には自ずからロール(役割)の違いというものがある。
まずALISが出発するには、資本が必要で資本家の投資があって、初めて出発したはずだと思う。
他にもICOという今は違法になった方法でも資本が集められたと聞くが、それらの資本(円資本)がALISを支えていると思う。
次にALISという会社がある。
この会社は資本家からの資本を使って、ALISというプラットフォームを運営し、その使いやすさの向上の仕事や、評価ロジックを用いたALISトークンの配布の仕事をしている。
一日2000ALISが、評価ロジック(今は非公開だが、いいねの数とある種の相関関係があることは確か。ただし、1いいねが何ALISかは、評価ロジックによって大きな差が出ているのは実験済)によって配布されている。
さて、ユーザーは価値を作ろうと奮闘している。
その対価は、資本家が円と交換したALISなどから捻出される。
トークン配布、投げ銭、有料記事購入の三つのルートで届く。
しかし、この対価というものを、ふつうは0が当たり前のところから発想するか、ふつうはこのくらいの原稿料というところから発想するかで、ユーザーの価値創出の充実感はかなり変わってくる。
特に記事を書くだけでトークン配布、いいねするだけでトークン配布はALISの特徴であり、魅力であるから、それを0が当たり前というところから見ると、どうせ記事を他のSNSに書くならALISに書こうよという話になる。
また0が当たり前と思っていなくても、別に収入源があり本職はそちらで、記事を書くのは趣味であれば、低い対価はそれほどの不全感はなく、創造したいものを創造する趣味で少しでも対価を得ているのは、「得している」という感覚も生じうる。
しかし、記事を書くと原稿料があるはずでそれを基準に考えている人がいたとする。
作家などはその類いである。
彼は仕事として考えるから割いた時間から考えて対価は低いと考えるであろう。
最低賃金以下で仕事しているという感覚である。
それを支えるのは、今は最低賃金以下でも、ALISは上がるかもしれないという期待あるいは幻想ということになる。
この状態であれば、作家は本当に価値あるものは円経済社会で売ろうとし、その他の雑感などを気軽にALISに書いたり、ALISを下書きに使ったり、絶版本や雑誌掲載後単行本に収録されていないものをコピペするぐらいしか、ALISの用いる意味はないと考える人が殆どだろう。
僕は身体障碍者を得て教員を退職した売れない作家で、特別に旅に出るとき以外、在宅でパソコンの前にいるときも多い。
最近、いくつか現れ始めたニートの漫画やエッセイに共感度が高いのも、実はその境遇に勝手に共通性のようなものを見いだしているからでもある。
ALISはそのような(とひとくくりにするのは申し訳ないが)人々の「時間だけはある」状態にかなりの部分、支えられて価値を作ることを維持し続けているように思う。
あるいは一方で、投資家の投資話題、ビジネス話題もよく見るが、彼らには別にしっかりした収入源があるように感じる。
また、収入源は存じ上げないが、旅をつづけてレポートできる生活をしていて、ALISの収入には特に頼る必要のない人もいるように思う。
つまり、極端にいうと、「貧しくて時間あり」「裕福で時間あり」のどっちかの場合、ALISに割ける時間がかなり大きくなる気がする。
資本家、会社、ユーザーの話に戻ると、この三者は立ち位置もロールもかなり違う。
資本家は資本を出した人たちで、ALIS価値向上にたぶん最大の関心を持っており、会社の運営がALIS価値向上に繋がるように意見する力も、最も強いはずのように思う。
ALISの会社の社員もALISの価値向上が自らの利益に繋がっていることは間違いないが、大きく違うのは社員はALIS運営を職業にしていて、ALISが上がろうと下がろうと給料を得て、生活している点ではないだろうか。
その点、彼らにとって最も有用なのは、会社が給料ほかの経費を払って存続する「資本」そのものである気がする。
ユーザーは資本家とかぶる人もいて、かなりビジネスの専門領域に詳しい人もいれば、今は何も持ってないが、記事や漫画は書けるよという人もいて多様である気がする。
最低賃金より(今は)安くても記事を書くのは、ビジネスとしてやっている部分を補完するためであったり、どうせ趣味で創りたいものを創っているんだから少しでもトークンとやらが配られたり、投げ銭されたりするなら、まあ0よりいいかと思うからであろう。
現実、ALISの魅力はよくも悪くも以上であって、それ以外の人にはあまり魅力がない気がする。
またユーザーのうち、円経済で作品が(初めてまたは再び)売れ始めた人にとっては、あまりいる必要のない場所となり、上方に抜けていく気がする。
ただ日本は不況であり、特に出版不況は大変深刻だという現実は背景に控えている。
この文章を書き始めるとき、バーン反対論の延長として、資本家、会社、ユーザーのうち、自分のALISをバーンされるのは、すでに最低時給以下で記事や漫画を描いているユーザーではなく、すでに給料で生活している会社のロールではないかという話に繋げるつもりだった。
だが、雑感を思いつくままに行き来するうちにまっすぐにそこに繋がる回路よりも、
よもやま話が多くなってしまった。
もし、記事の価値が0と考えると、ただでもらったトークンから流通の際、10パーセントがバーンされても文句をいう筋合いはないと考える人がいると思う。
しかし、三つの鼎が対等にALIS世界を支えているとするなら、ユーザーは記事を書くことで法外に少ない報酬ですでに貢献している。
だからそこからさらにバーンするのは酷だと思う。
それにバーンは消費税と同じで、流通の阻害要因になると私には単純に思える。
ただ、今いろいろ検証がされているようで、ビジネスの専門家ではない私は検証の結果を見守るしかない。
私は素人として、三つの鼎のロールの問題として、バーンがもし必要なら、流通の際にユーザーの持ち分からするのではなく、会社の持ち分からするべきだと思っている。
既に最低時給以下で記事を書いているユーザーからではなく、給料で生活している社員で構成されている会社が、バーン分を経理に組み込むべきだと思う。
そうすれば、バーンかプールかという問題も消えてしまい、会社のプール分の一部がバーンするだけだと思う。
もしユーザーから10パーセントとってプールするとそれはユーザーに還元できる使い道を工夫しなければならないという仕事がまた増えるだけだ。
しかし、僕の一番の懸念は会社は既に資金不足か、資金不足の訪れる日が目前に見えているかなのではないかということだ。
だとしたら、ユーザーにはもっと価値を創る使命がある。
ユーザーのロールは価値を創ることで、ALISの価値を上げること。
ALISの価値を上げることで、自分たちの作業対価が現実的なレベルに達するようにすることだと思っている。
その他の部分、バーンなどは、会社のロールだと思っている。