僕は買い物や食事に、京都側の隣町まで、電動車椅子で行くことは、
この記事も書いた。
さて、今日。
朝といっても昼前だが、外に出ると、手すりや道が濡れていて、空は薄曇り。
雨が止んだところだなと勝手に判断して、僕は電動車椅子で隣町に出発した。
と、途中から雨が降り始めた。
どうも降るのは今からみたいだ。
ひとりのおじさんが近づいてきて、僕に傘をさしかけた。
「ショッピングモールの方に行かれるなら、少しでも。」
と彼は言った。
「ありがとうございます。」
「こういう傾斜している歩道は危ないんですよね、昨日テレビでやってました。」
「そう、だから僕はレバーをわずかに傾斜に逆らう方向に倒して微調整してます。
でもそれもできない障碍の方もおられるのでねえ。」
話しながら行くと、彼の目的地であるガストに着いた。
僕は彼がガストに行くと聞いていたので、すべての段差をクリアーできるいつものルートを外れていた。
が、それはそれでそのとき誰かに頼めばなんとかなるだろう。
「では、ここで。ありがとうございました。」
「いや、信号渡るまで行きましょう」
「あとは、大丈夫ですよ。遠回りになると悪いですし」
「いや、信号待つ間も濡れますし」
結局、彼は一緒に信号を渡ってくれた。
向こう側の段差は大きく、前輪がひっかかる。
京田辺市の土木課に申しいれはしてあるが、何年もそのまま。
やる気ないようだ。
「持ち上げようとせず、後ろの持ち手に下向きに重みかけていただけますか。前輪が上がります」
説明すると、彼はうまかった。
「したことありますね」
「ええ。母がしばらく車椅子使ってましたから」
やったことあるのか、ないのかは、車椅子を触って1分でわかる。
「では、ここで。ありがとうございました」
その時だ。
もう一人、見知らぬ老婦人も、
「ありがとうございました。
ご親切に。」
と言いながら、現れた。
どう見ても知らない人だ。なのに、僕の代わりに礼を言っている。
「私、後ろから見てたんです。親切な人でしたね」
そう言いながら、今度はその人が傘をさしかける。
「あっ、ありがとうございます。・・・では、ここで。僕はあそこのスロープをグルッと回りますので。」
「一緒にスロープ行きましょう」
「遠回りになりますよ」
「こういうことはお互い様ですよ。遠慮しちゃダメなんですよ。私もいつお世話になるかわからない。お互い様のチャンスを与えてもらったんですよ」
「は、はあ」
インドにはバクシーシの思想がある。
バクシーシとは、布施、喜捨のことで、それを求める乞食の皆さんは悪びれていない。
布施という徳を積むチャンスを相手に与えているのだから、皆が解放された世界に行く道中で対等だという思想が浸透しているのだ。
彼女は、知ってか知らずか、その思想を語っているようだった。
「今日、あなたが次々、傘をさしかけられたのはね、あなたがきっと徳を積んで生きてきたからよ」
彼女は言った。
20代のとき、ネパールのストリートチルドレンと何度も一緒にご飯を食べたことをふと思い出した。
本当に、今、この老婦人の傘となってさしかけられているエネルギーは、あのとき、空腹の彼らと一緒にカレーを食べながら、ネパール語を教えてもらったときの、あの時のエネルギーが地球という星を巡って時も超えて届いたものなのか。
あの時、僕は日本円にしたら何十円で空腹が満たされるなら、一緒にメシを食べよう、ネパール語を教えてくれと考えて遊んでいただけなのだが。
クマール、プラジュン。
この傘は君たちのエネルギーなのか。
涙が出てきた。
「では、ここで」
「気をつけてね」
「ありがとうございました」
ありがとう。
見知らぬおばさん。
ありがとう、クマール、プラジュン。