日本テレビ『スッキリ』(2020年8月10日)の街頭インタビューで「唐揚げは手抜き料理」という仰天発言が飛び出しました。レポーターの「手抜きだと思う料理は何ですか」との質問に男性が「唐揚げ」と答えました。一緒にいた男性の妻が「唐揚げは楽じゃない」と反論しましたが、男性は「でも唐揚げはジャンクフードだから。手抜きですよね」と珍説を披露しました。
冷凍餃子を手抜きとする発言が物議を醸したばかりです。そもそも手抜きは作る側が感じることであって、作ってもらう側が言うことではありません。人間は楽をしようとして文明を発展させてきました。相手に頑張らせようとする昭和の精神論根性論が有害です。
冷凍餃子は手作り餃子という対比するものがあります。このため、手抜き料理か否かという純粋な議論は成り立ちます。その上で家事の大変さを棚に上げて料理についてだけ正論を言うなと反発が出てきます。
これに対して唐揚げは、そもそも手抜き料理とすることに無理があります。油料理の面倒臭さを理解していません。無知と傲慢をさらけ出しています。最大の問題はジャンクフードだから手抜きとする独自の論理にあります。日本語の使い方として間違っています。これは値段と味を比例して考える弊害です。
むしろ手抜きで、あれだけ美味しいならば素晴らしいことです。羽海野チカ『3月のライオン 9』(白泉社、2013年)の川本ひなたは、山盛りの唐揚げが御馳走です。この気持ちは理解できます。肉の価格と価値は比例するものではなく、好きなものを腹いっぱい食べることが幸せです。
高価な料理よりも自分が良いと思うものを食べることに意義を感じます。値段は所詮、世の中の物差しで自分の物差しではないので、それに振り回されるのは本来の意味の利己的ではありません。
論語里仁編に「子曰わく、士、道に志(こころざ)して、悪衣悪食(あくいあくしょく)を恥ずる者は、未(いま)だ与(とも)に議(はか)るに足らず」とあります。この悪は悪いという意味ではなく、粗末の意味です。粗衣粗食の意味です。
価格と味や品質、価値が比例するという価格信仰の拝金主義はエンタメ作品で痛烈に批判されています。「高価な墓石を立てるより 安くても生きてる方が素晴らしい」(大事MANブラザーズバンド『それが大事』)。
「パーティーや高級レストランの食いものに比べりゃ、ここのハンバーガーのほうが、よっぽどマシだ」(浦沢直樹『MONSTER 15』小学館、2000年)
「高級食材の料理には興味はない」「今僕に必要なのは一般的な大衆料理だ」(『Fate/Zero アンソロジードラマCD Vol.1』「イートイン・泰山」2012年)
柴田錬三郎『御家人斬九郎』(新潮文庫、1984年)第四話「柳生但馬守に見せてやりてえ」は値段だけの高級料理をこき下ろします。「料亭の名だけで、もったいめかした、子猫の餌ほどの小鯛二尾、それも一向に味らしい味もせぬ」(40頁)。
久部緑郎作、河合単画『ラーメン発見伝 2 塩の秘密』(小学館、2000年)「大衆料理の味」は値段と味が比例しないことを指摘します。低価格で提供するから、不味くても仕方ないとする発想は思い上がりです。
フランス料理が全て高級ぶっているとの発想も誤りです。フランスにも低所得者向けの食堂はあります。そこでは安くて美味しい料理を工夫して出しています。日本人のフランス料理人もフランス修行中には助けられました。シェフの修行時代を描いたノンフィクションでは少ない給料で高級レストランに行って舌を肥やしたという描写がされることがあります。実際は本作品のシェフのように大衆食堂の日常グルメで舌を肥やす方が多いでしょう。
「バカヂカラ」のコント「親父の威厳」では「高けりゃ美味いってもんじゃない。美味いもんは美味い。値段じゃない」との台詞があります。グルメぶって高級メニューを褒める人を凹ませる笑いになります。
値段と価値が比例しないことは食べ物以外にも当てはまります。林田球『ドロヘドロ 2』(小学館、2002年)は安い服の店に入った人を貧乏人とする決めつけに対して、「服の趣味は人それぞれですからね。ビンボーとはかぎりませんよ」と反論します。
「お前は値段の高さがものの良さだと思っているのか」「高級品を身に着けふんぞり返ってみろ、それこそ品格が疑われる」(栗山ミヅキ『保安官エヴァンスの嘘 DEAD OR LOVE 3』小学館、2018年)
----- Advertisement ------
◆林田力の著書◆
東急不動産だまし売り裁判―こうして勝った
チキン大好き