NHK大河ドラマ『光る君へ』第二回「めぐりあい」が2024年1月14日に放送されました。第一回も「めぐりあい」に相応しい内容でしたが、今回も「めぐりあい」でした。おまけに「すれ違い」もある韓国ドラマのような展開です。妨害・圧力によって自分の自己実現の場を否定され、それが恋のすれ違いにもなってしまうというダブルパンチです。
第2回は、まひろの裳着(もぎ)から始まります。裳着は女性の成人の儀式です。まひろは儀式を嫌悪します。儀式のための衣装も窮屈なために嫌っています。現代の新成人が成人式で派手な衣装を見せびらかすメンタリティは理解できないでしょう。
まひろの弟は学問が苦手です。彼は藤原惟規として知られる人物です。惟規は勅撰和歌集に和歌が収録されるほどの歌人であり、学がないというイメージはありません。漢籍と和歌の才能は別でしょうか。在原業平は『日本三代実録』で「略無才学、善作倭歌」と紹介されています。学問と和歌は別物と評価されています。
紫式部には幼少時に父親が惟規に学問を教えていたら、横で聞いていた紫式部の方が理解していたというエピソードがあります。『光る君へ』も踏襲しますが、惟規を兄とする話もあります。学力と男女差は関係ないという現代人の感覚では兄とした方が紫式部の才女アピールになります。弟では姉の方が優秀でも当たり前と感じてしまいます。
まひろも道長も屋敷の中に閉じ籠っているのではなく、外に出ます。平安京が舞台ですが、建物が密集した都市というよりも田園風です。平安京などの都は唐や統一新羅という東アジアの強国に対抗するために整備されたものですが、住む人々の利便性を無視した机上の計画であり、過大な物でした。中国のように都市を囲む城壁もなく、歴史教科書で見るような平安京図の通りの都市は存在せず、田畑や草原や森林に戻る場所も生じました。逆に平安末期には平安京の外の鴨川東岸の白河の地が市街地となりました。
夕顔に言及されました。2023年のNHK大河ドラマ『どうする家康』最終回「神の君へ」では源氏物語の夕顔の巻が映りました。『どうする家康』から『光る君へ』がつながりました。
『どうする家康』最終回「神の君へ」天ぷらではなく、海老すくいで大団円
まひろや道長に加え、師貞親王(後の花山天皇)も子役からバトンタッチしました。成長した師貞親王は賢そうです。織田信長のように、うつけを演じるタイプでしょうか。当時の天皇家は村上天皇の皇子だった冷泉天皇と円融天皇の二系統に分かれていました。今上は円融天皇で、東宮は冷泉天皇の子の師貞親王です。うつけの振りも処世術でしょうか。
師貞親王は「見るところは見ている」と言います。しかし、人を見る目があるならば藤原道兼にだまされて出家するでしょうか。そもそも道兼を腹心とすることは人を見る目があるでしょうか。師貞親王は藤原伊尹の娘の懐子の娘です。兼家は伊尹の弟で競争相手です。その兼家の子の道兼を腹心とすること自体が誤りに見えます。『鎌倉殿の13人』で源頼家の側近に送り込まれた北条時房のような役割になるでしょう。
第一回「約束の月」の道兼の行為に対しては貴族が血の穢れを考えないことはあり得ないという批判がありました。今回は兼家から穢れの問題が説明されました。禁忌だからこそ隠蔽されたという流れは逆に物語として説得力を持ちます。過去のNHK大河ドラマ『平清盛』でも白拍子の舞子が院御所で殺されたことがあり得るのか議論されました。主人公の母親が殺される展開は重なります。
藤原実資が登場します。日本史学習者にとっては史料『小右記』の作者として有名です。2024年の大学入試共通テスト日本史B第2問でも『小右記』から出題されました。藤原兼家の宴会があり、天皇から甘栗が下賜されたという記事でした。
実資は兼家の正論を認めつつも好きになれないと言います。実資は藤原実頼の孫です。兼家は実頼の弟の師輔の子です。自分こそ藤原北家嫡流の意識があったかもしれません。実頼や師輔の父は藤原忠平です。この忠平には時平という兄がいました。時平が藤原氏の長者でしたが、菅原道真を冤罪で左遷させたことから祟りに遭い、藤原氏の長者も忠平に移りました。忠平の子の代では実頼は時平の娘と婚姻する一方、師輔は北野天満宮を熱心に信仰しました。ここから道真の怨霊の加護によって師輔の子孫が栄えたとされます。
摂関家の兄弟の権力争いでは時平・忠平、実頼・師輔、伊尹・兼通・兼家、道隆・道兼・道長と弟が勝利しています。兄は父親の身分の低いところから出発しなければなりませんが、弟は父親の出世の恩恵を最大限受けられる後発優位の要素があります。
NHK大河ドラマ『光る君へ』住まいの貧困と権力の横暴
光る君へと鎌倉殿の間の川越八幡宮