大阪以外の地にも、いや、関東にまでも、いまや「串カツ」は広がっているようです。
「串カツ田中」は【二度付け禁止】の「串カツ」を広めた功労者でしょう。
東京で、大阪人の僕と、東京人の友人が「串カツ」を話題にした際の話。
いわば「あるある」なのだが、
僕「串カツ屋みたいな店、このへんにないの?」
友人「串揚げ屋さんあるよ」
僕「おお、いいねぇ、ちらりと引っ掛けよ」
友人「カウンターだけの店だから、混んでるかもしれないね」
僕「ええやん、ええやん。雰囲気あるやん。右肩入れて、びんビールをコップでキュー、やねー」
友人「いや、ワインが合うんだよ」
僕「ワイン・・・?」
僕の頭の中は、完全に
「【ソース二度付け禁止】の“安い”、「串カツ」とか置いてる居酒屋」
なのだが、
友人の頭の中の候補は、
「板前がカウンター越しに「串揚げ」をひと串づつ挙げてくれる“高い”店」
なことがある、ということだ。
ここで、定義をしておくが、
「串カツ田中」が旋風を巻き起こすまでは、
東京には「串カツ」という語彙はなかったと思う。
なので、当時の東京人が大阪に来て、「串カツ屋」に連れて行っても、終始、
「串揚げ、おいしいねー」なんて言っていた。
我々大阪人は「串揚げ」という語彙もある。すなわち、東京的串揚げ屋の形の店を指すのだ。
ここからが複雑なのですが、内容は「串揚げ屋」だが、「串カツ」を看板に上げている店がほとんどだと思う。
つまり、大阪では「串揚げ」も「串カツ」であり、
大阪では「串カツ」にひと串ずつ出てくる「串カツ屋」もあれば、【二度付け禁止】の「串カツ屋」もあるのだ。
ああ、ややこしい。
さて、ここまでが前置き。
東京で「串カツ」という語彙が市民権を得たのはごく最近だろう。
現在大阪に住む僕を東京の友人が訪ねてきたときや、
東京時代の上司や同僚が大阪に出張した際の晩餐として、
「大阪のおいしい串カツ屋に連れてって」
というリクエストをもらうことが増えた気がする。
待て待て、「串カツ屋」ではなく、「おいしい串カツ屋」だと??
確かに、串カツはおいしいよ。
でも、そのリクエストの仕方は、
「大坂は串カツの本場なんだから、串カツ屋さんもたくさんあって、おいしい串カツ屋さんがあるはずだ。だから、【フレンチとかイタリアン顔負けのおいしい串カツ屋】に連れてって」
と言っていると思う。
でも、よく考えてほしい。
串カツは庶民の味であり、そもそも、
「ずば抜けておいしいものではない」し、
「おいしいから人気、なのではない」。
安いから、手ごろだから人気なのであって、
ヘンな期待はしないでほしいのだ。
ここで注意が必要だが、「まずい」と言っているのではないのはわかってもらいたい。
いわゆる「ウマイ」には違いないが、「とってもおいしい」ことを価値としていない、ということを理解しておいていただきたい。
残念ながら、あなた方の言う、
「おいしい串カツ屋」は確かにあるが、
それは東京でも普通に食べることができる、「串揚げ」だ。
もちろん、大阪だから、間違いなくウマい。
ベタかもしれないが、梅田なら「活」だし、なんばなら「串の坊本店」に連れて行くさ。
でも、それをすると、がっかりするでしょ。。
そう、あなた方の言う、
「おいしい串カツ屋」は、
【二度付け禁止】の庶民の串カツ屋を想定しているでしょ?
ああ、期待してもらってる
「【二度付け禁止】で、大将もおかみさんもめちゃめちゃフランクで、『え、お客さん、東京からきはったん?うちみたいな汚い店、どこがええんやろか~。え、出張?ほな、会社のお金で東京から来てはんの?いや、ええなぁ。でも、そこがサラリーマンの特権やもんね~。ゆっくり飲んでくださいね~。そや、出張、いうても、せっかく遠くから来てくれたんやし、紅しょうがの串カツ、一本サービスしとくわー』と出された紅しょうがの串カツがものすごくおいしい店」
なんてところは、まず、ないです。
ほんと、お好み焼きといい、串カツといい、期待に沿えなくて申し訳ない。
つまり、「串カツ」は前述のとおり、
庶民の味であり、めちゃくちゃおいしいことが求められる価値ではなく、
安い、手軽、ということが価値なのである。
なので、へんな幻想を持って串カツに期待しないでほしい。
もちろん、おいしさを追求している串カツ屋がない、とは言っていない。
当然、串カツは、「どの店もウマい」。
だけど、期待しているその微妙なニュアンスの「おいしい串カツ屋」は存在しない、と言っていいと思う。
そして、決定的に言えることは、
「串カツ屋なのに高い」店はあり得ない。
なんなら、新世界にお連れしましょうか。通天閣のお膝元で。
隣のワンカップを持ったオッサンが「にいちゃん、阪神、今年あかんな」と声をかけてくるお店にお連れしましょうか?
隣の前歯がほとんど抜けたオッサンが「あかんわ、あっこのパチンコ、あかんわ。あっこのパチンコ、昨日のあかんかったけど、今日もあかんわ」と話しかけてくるお店にお連れしましょうか?
ザ・串カツを楽しめるぜ。
ウマい、ことが前提ではなく、酒がウマくなる、酒が進む「揚げモノ」としての本来の串カツの意味を理解できると思います。
【二度付け禁止】はオシャレとかクール、なんじゃないです。
店側のオペレーションの省略のためです。ソースの節約のためです。
だから、提供する串カツは安いのです。
でしょ。串カツの価値、わかっていただけましたか?
そうそう、
紅しょうがの串カツ、東京では人気だそうですね。
これも「串カツ田中」が庶民の味を広げた功労者でしょう。
紅しょうがの串カツ、確かに前からあったけれども。
いわゆる「エース」やったっけ。。
串カツ盛り合わせ(いわゆる「串盛り」)で「安いけど本数多いやん!」と見せるための最終兵器だったような気がするのよね。
確かに「紅しょうがの串カツ」はウマいし、僕も好きか嫌いかと言われれば好き、だけれども。
そんなに、人気、というものなのだろうか。
これは、串カツ田中のマーケティングの勝利なような気もしている。
ここで、妄想してみる。
「紅しょうがの串カツ」の誕生秘話を。
紅ショウガなんて、たぶん、昔の下町の串カツ屋にもあっただろう。
ある日、まったく金を持っていない、みすぼらしいオッサンがワンカップ片手に店に入ってきて、
「にいちゃん、酒はええねん。ワンカップ買うたから。アテが欲しいねん。でも、カネないねん。でも、アテがいるねん」
と言ってきた。
店の大将は、この手の客の来訪は日常茶飯事なので、
「おっちゃん、カネないんやったら、アテは出されへんて。ウチで酒買うてくれて、それでカネがない、言うんやったら、ハジカミくらいは出したるけどな」
とあしらう。
オッサンは
「そんな、殺生やで。明日は金ができるから、酒たのむけど、ハジカミいらん。そのぶん明日のハジカミを今日、ちょうだいや」
とのたまう。
大将はそんなオッサンの明日の約束なんて果たされるわけがないのはわかっているし、ハジカミも高いからもったいない。なので、
「わかったわかった、ほなもう、明日、来んでもええよ。この紅ショウガ、一枚揚げたるさかい、もう帰り」
と店ではタダで出している紅ショウガを揚げて、渡して追い払った。
こういうやり取りが何度もあって、「食ってみたら意外とうまかった」から、
「紅しょうがの串カツ」がメニューになった。
なんてくらいなのではないだろうか。
それがたまたまうまかった、のかもしれないが、
東京でグルメ番組で、
「こんなにおいしいモノが世の中にあったなんて!大人気なのもわかる!」なんてレポートしなくてよかろうて。
有名人がそんなことを言うもんだから、串カツの本当の姿を知らないひとは、「おいしいに違いない」→「おいしい」と思ってしまうのではないだろうか。。。
串カツは「庶民の味」であり、「グルメ」ではない。
ほんとうに申し訳ない。お好み焼きといい、串カツといい、期待に沿えなくて。
本当にごめんなさい。
大阪人は「店で飲む」以上、「味がおいしい」のは大前提です。
で、そのうえで、「価値」が付いてきます。
串カツは「おいしい前提」で「安い」から串カツなんです。
なので、これを読まれた大阪以外の方へ。
大阪に来られて、大阪人の友人の方に、
「串カツ屋に連れて行ってほしい」ときはこうお願いしてあげてください。
「『ザ・大阪』な串カツ屋さんに連れて行って」と。
そのリクエストなら、ほとんどの大阪人が意気揚々と自分が好きな店に連れて行ってくれますから。
そしてそこなら、本当の意味で「おいしい串カツ」に出会えるはずです。