実はぼく、バツイチでございます。
それも今年10月に離婚いたしましまして、離婚ほやほやです。
弁護士に宛てて書いたメールが残っておりましたので、これから離婚をしようと考えている方の参考になればと思って掲載しておきます。
弁護士に、妻との結婚生活を赤裸々に綴って送ってくれと言われた際の内容です。
【結婚してから離婚に至るまでの経緯】
2008年10月に結婚。
結婚後、妻は2年間は仕事をせず、家に引きこもっていた。
その時は、妻が家事のほとんどを行っていた。
アパートを借りていたが、家賃・光熱費・生活費・等は全て私が払っていた。
妻が負担していた分は、嫁の車の保険料のみ。それも、嫁の両親が払っていた(2018年までこの状態が続いた)
2010年頃~
家事だけを行っていた専業主婦だったが、社会との関わりがないので、うつ状態になる。
その時期から、家事を行わなくなっていく。
2年間は、ほぼ毎日、作っていた弁当も作らなくなった。
2011年頃~
知人の紹介で、仕事を始める。
セレモニーでのアルバイト。
職場が遠く長距離を運転していたのが苦になり、半年ほどで離職。
この頃から、炊事は一切行っていない。
妻はSMAPの熱狂的なファンだった。
働いてはいないが、嫁の実家から資金援助を受け、SMAPのコンサートには、ほぼ全部行っていた。県外のコンサートほぼ全て。
コンサートに行くのは、SMAPが解散するまで、毎年恒例のように続いた。
子供が出来ると、SMAPのコンサートで暴れることが出来ないので、子供は要らないと言われた。
正確には、子供を産んでやってもいいが、あんたが育ててよ!と言われた。
私の考えでは、子育ては夫婦で協力するのが普通だと思っていたので、
その言葉に大きな価値観の違いを感じ、子供を作ることをあきらめた。
子供よりSMAPの方が大事なんだなと感じた。
離職後、ほぼ一年間、家で引きこもるような生活を送る。
その間、掃除、炊事はほぼ行っていない。
洗濯だけは好きだったらしく、ほぼ毎日行っていた。
夕飯の購入・支度はほぼ私が行っていた。
夕飯の購入・支度は、2018年までほぼ私が行っていた。
その後、近所の弁当屋でアルバイトを始める。
アルバイトで得た給料は、家庭にはほぼ入れていない。
SMAPのコンサート代や、趣味の衣類の購入に充てていた。
働いた給料に見合わない、衣類や装飾品を購入していた。
(親のクレジットカードで買い物していた)
購入した衣類には、一度も着ていない物もあった。
妻の弟が家業を継ぐために東京から地元に帰省。
その頃から、工場の人手が足りないとの事で、私に声が掛かり、
妻の(実家の)家業のアルバイトを依頼されて始める。
(私の本業である理学療法士の仕事が始まるまでの時間、朝5時~朝8時30分まで。週4回程度)
これを約2年間続けた。
家業を継ぐはずの義理の弟が、寝坊で仕事に遅れたり、勤務態度が悪いことにも腹を立てた。
本業が忙しくなったのと、会社に副業がばれそうになり、2年で打ち切らせてもらった。
お盆期間は、家業のイベントがあり、それに毎回参加を強要された。
せっかくの休みなので、私は休みたかったが、それを伝えずに協力した。
(3~4年間)
2016年11月
妻の弟が、交通事故で死亡。
それがきっかけでうつ症状になる。
弁当屋のアルバイトも辞める
弟の事故の後処理(死亡確認・死亡届・現場検証・保険の手続き等)は、なぜか私がすることになった。
他に頼るものが居ないと言っていたが、そんなものは親の最後の務めじゃないのか?と思ったが泣き崩れている妻家族には伝えることも出来ずに私が行った。
それを機に、妻は実家に帰省する。アパートには帰ってこなくなる。
私も、妻を励ます為、妻の実家に住み、妻の実家から仕事へ通った。
1年ほど妻の実家で生活をしたが、住んでいないアパート代を払うのは勿体無いので、私はアパートへ帰りたいと言った。
それを聞いた妻の両親が、アパート代は支払うので、妻の実家で住んで、妻を支えてほしいと申し出てきた。
それを渋々了承し、妻の実家で住んだ。
妻は風呂に入るのが嫌いで、1週間風呂に入らないのが当たり前だった。
(頭が痒くなると風呂に入る)
こんな不潔な妻に、『セックスしたかったら、陰部を洗って来い』と言われたことがあり。この頃からセックスレスが始まる。
これまでも年に1度程度しかしていなかった。
弟の死から、家族全員が立ち直ることが出来ない状態で、暗い話題ばかりの家に住むことが辛くなった。
それで、『アパートに帰りたい』と妻と両親が居る前で話した。
妻の母から、
『あなたは、所詮他人なのよ。息子を亡くした家族の気持ちなんか分からない』
私の実の両親に対して、
『仏壇に手も合わせに来ていない。親がこんなだから、妹も離婚するんだ。』
と罵声を浴びせられた。
私は、それに腹を立てて、机を叩き、『そんな気持ちを理解出来る訳ないだろ!』と言って、妻の実家で住むことをやめて、アパートに帰った。
義理の弟が亡くなってからの、事後処理は私が行い。
1年間は、妻に寄り添い、住みたくも無い妻の実家に住んだ。
また、この家からの依頼を受けて、アルバイトやお盆も家業を手伝った。
その経緯があるにも関わらず、私に対する扱いが納得がいかなかった。
その後、半年ほど、妻と別居することになるが、週に3回は顔を見に、妻の実家に行っていた。
妻の家には土曜日だけ泊まっていた。
2017年
妻が、妻の両親と口論になり、アパートに帰ってきた。
アパートに帰ってきても、家事はほとんど行わない。洗濯だけはほぼ毎日行っていた。
風呂には、1週間に一度しか入らなかった。
うつ病の症状が治らず。
私が、楽しい話をしても、仕事の悩みの話をしても、『あなたは、兄弟が生きとんで!』という答えが多く、会話をすることが嫌になっていった。
2018年
私が、妻と話すことも、一緒に居ることも、苦痛になる。
仕事終わりに、買い物を終えて、アパートに帰りたくないので、車で1時間ほどスマホなどを見てから、家に帰るようになる。
妻には、『眠たいので車の中で寝て帰る』と伝えた。(仕事のある平日のすべて)
車で寝てると伝えた時も、『心配だから仕事が終わったらLINEだけはして!』と言われた。
仕事後に、『今、仕事終わりました。買い物して、ちょっと寝てから帰ります』と毎回、LINEはしていた。
【妻の不倫を疑って離婚を切り出すまで。2018年6月】
妻が、あまりにも家事をしない。
その事を妻の母親が見かねて、晩ご飯を作ってくれるようになる。
晩ご飯を妻の実家に取りに行き、アパートに持って帰るようになる。
私は、妻の実家に取りに行くのが面倒だと、妻に伝えた。
妻の母は、会社の従業員Aさんに、アパートまで配達を頼むようになる。
Aさんの家と、私のアパートが近かった為だ。
それが、一ヶ月ほど続いた。
【2018年7月】
その日は、妻の精神科へ行く日で、朝からシャワーを浴び、病院へ一緒に向かった。
診察を終え、アパートに帰宅。
汗をかいた。と言い出し、1日に2回シャワーを浴びる。
そこで、おかしい!と思った。
案の定、その後、Aさんと会っていた。
Aさんが、C型肝炎を患っている可能性がある。と妻から言われた。
10年前に献血を行い、その時の検査で擬陽性が出た。
それを10年間、誰にも言わず抱え込んでいた。とのことだった。
その事を、私の友人に話すと、
『そんな、セックスでうつる様な病気を告白する時って、セックスする前じゃない?』
と言われた。
その月に、妻は10回ほど朝帰りをした。
仕事の話でAさんと会っていたと言い訳をしていた。
【2018年8月】
私は探偵に調査を依頼した。
探偵に調査を依頼した事で貯蓄が減った。探偵を24時間雇うのに98万円掛かった。
妻は、偏食家で、『炭酸水しか飲めない』と言い月に120本ほどの炭酸水や、
『オーガニックの食材しか食べれない』というので、それを選んで購入していたら家計が赤字になってしまった。
私は、7月末に頼んでいた探偵の調査報告を受けた。
結果は、Aさんと不倫をしていた。
私は妻とAさんに対して怒りを感じた。
『不倫している妻を、私が養わなければならないのか?』
私は、離婚する決意を固め、準備に入った。
妻が、アパートにタバコを忘れていないか?というLINEがあったので、
アパートに置いてある妻のポーチを探した。
その時に、妻が8月に購入していた衣服や装飾品の領収書を見つけた。
親のクレジットカードで切られていた。
2枚の領収書で約29万円だった。
私が、家計が赤字なので、お茶を沸かして水筒に入れて仕事に行くことや、欲しい漫画やゲームを我慢している事が馬鹿らしく思えて、涙が出た。
私は、価値観が違うと感じた。
私は、離婚する決意を固めたつもりだったが、心の中では迷っていた。
不倫の事を、許そうかとも思っていた。
しかし、この件で離婚をする決意が固まった。
私は、この女と一緒にいても幸せにはなれない。と心底思えるようになった。
8月の朝帰りは12回だった。
B’zのコンサートへ行くと言ってAさんと1泊2日の旅行に行った(愛媛県)
【2018年9月】
妻が家業のイベントでロサンゼルスに行くことになった。(9月19日~9月28日)
当初は、別の従業員(妻の友人女性)と行く予定だったが、
妻と友人女性がケンカになり、代役としてAさんが行くことになった。(Aさんと2人だけで行く)
妻がロサンゼルスに行っている間に、妻の両親へ事情を伝え離婚しよう考えた。
9月20日に妻の実家に行き、妻の両親に事情を伝え、不倫現場の証拠を見せた。
そこで、離婚の際の示談の話を切り出した。
妻には慰謝料を請求しない事。
アパートの片付けは妻が行う事。
Aさんには慰謝料300万円を請求する事。
不倫の証拠品が必要であれば申し出てほしい事。
示談を速やかに行えなければ、弁護士に相談する事。
その際は、示談内容を変更する事。
財産分与はしない事。
を伝えた。
妻に慰謝料を請求しなかったのには理由があった。
妻の両親は、人目を気にするタイプだったので、Aさん(従業員)だけを訴えることで、妻も悪い事をしたのにお咎め無し!の状況を作ってやりたかった。
そうすることで、妻の両親がAさんの分を肩代わりすると思ってのことだ。
仮に、妻が払わなくても、妻には慰謝料を請求していないので、ゴネる理由もなくスムーズに離婚できると思った。
妻とAさんがロサンゼルスに行った後、私は自分の荷物を整理し、アパートから自分の実家に帰った。
以上です。よろしくお願いします。
これが、弁護士に送ったメールの全文です。
結果、妻の両親が300万円の慰謝料を払いました。
3ヶ月程度の不倫では破格の数字みたいです。
だいたい150万円くらいが相場のようでした。地方だし、私の給料との兼ね合いなんかもあるんでしょうけど。
離婚に掛かった日数は、1ヶ月でした。
幸い、子供が居なかったので親権で揉めなかったですし。
ほぼ、私の出した条件を丸呑みした形で決着が着きました。
Aさんも既婚者だったので、不倫の証拠を欲しがるかな?とも思ったのですが、
どうも必要ないようでした。
100万で売りつけてやろうと思ってたのにw
そして、ぼくは独り者になった訳ですけど、
今の心境をお伝えしましょう!
最高です!!!
自分の人生を自分で決めれる喜びに打ち震えております。
目の前には自由と言う名のブルーオーシャンが広がっておりますよ!
子供が居ないのは本当に幸いでした。
流石に、子供が居たら身を裂かれる思いだっただろうから。
しばらく結婚はしたくないですね。
今は、私の辛かった数年間を取り戻すために必死で遊んでいます。