
気が向くままに書き続けるクリスペ個人の感想記事シリーズ、31回目です。
同時に、2024年振り返りシリーズの第4弾です。
第3弾から間隔があいてしまい、申し訳ありません。
記事が長いので目次を作りました
目次
前回のあらすじ
9月上旬:ギルド移籍からのあれこれ
・Rubyへ移籍&ボード就任
・メタロッグわからせ杯
9月上旬から中旬頃:WSKC(当時)始動
10月上旬:WSKCがRSCになる中で
・はじめての配信視聴
・WSKCはRSCへ
まとめ&次回予告?
振り返り3:コロシアムを主催したり、Rubyギルドに呼ばれたりした
予定通り、9月になると同時にSapphireからRubyに移籍し、同時にボードに就任しました。当時のご挨拶記事はこちらです。
前回の記事やご挨拶記事にある通り、準備自体は8月後半から進められていたのですが全て裏側でやっていただけだったので、皆様に向けては突然の発表になりましたね。
この発表の後、カーリーさんの記事で話題にしていただいたり、カイさん、クロサワさんからボード就任祝いをいただいたりしました。ありがとうございました!
私のボード就任にあたって何かコロシアムをやろうというのは早い段階で決まっており、魔封石覚醒祭の裏で着々と準備を進めておりました。それがこのイベントです。
正式名称は「メタロッグRubyボード就任記念杯 ~新入りボードをわからせろ!~」ですが、長いので基本的にメタロッグわからせ杯と呼んでいます。
このイベントは他の私のイベントと異なり、CUMOさんやクロサワさんなどと相談しながら企画しました。
メタロッグわからせ杯という珍妙なネーミングとコンセプトですが、これはメタロッグ本人の発案です。
「ボード就任記念イベントって何やればいいんだ」となった私は、先にOnyxのボードに就任していたカイさんのボード就任記念イベントを参考にすることにしました。今やカイさんも偉大な先人の1人になろうとしています。
カイさんのOnyxボード就任記念イベントの記事はこちらです
なるほど「onyxの良さを少しでも知って頂くため」かあ。では私も「Rubyの魅力を皆様に知っていただくため」と……待てよ。
私はRuby所属と同時にボードに就任するので、人に魅力を伝えられるほどRubyに詳しくありません。なんなら企画中はまだRubyに所属していないので、Rubyを知ったような口をきくのはおかしいです。むしろ教えていただく側でしょう。
それと、急にメタロッグがボードに就任することでRuby内で反発が起こることを考えた方が良いのではなかろうか。その場合どうなることが予想されるか。
「移籍したての初心者がボードだと? ふざけやがって」
「俺様がこのデッキであいつをわからせてやる」
となるのではなかろうか。Rubyって戦闘狂の集いらしいからあり得る話である。それなら、先手を打つしかあるまい。
だいたいそんな流れで、私自ら「メタロッグをわからせろ!」などと言うことになったわけです。
一方で、メタロッグが負けるたびにギルド協賛Soulが1,000ずつ報酬に追加される仕組みを発案したのは私ではありません。ただし、それに対する私の答えは「盛り上がりそうでいいですね」です。ノリノリじゃねーか(本来もらえたはずのSoulのほぼ半分を失いながら)
ちなみに、当時の結果発表記事にも載せていなかったイベント当日の使用デッキがこちら
デッキ名は「わからせリベリオン」 私のことをわからせに来るRubyプレイヤー達へのささやかな反逆――リベリオンを目指してつけられています。
ちなみにWeblio辞書でrebellionを調べると「rebellion は不成功に終わった謀反をさす場合が多い」と書かれています。つまりはそういうことです。
(参考:英語「rebellion」の意味・使い方・読み方 | Weblio英和辞書 )
私のボード就任と前後して、Rubyギルドでは新たな施策としてWSKC(World SentouKyo Classic)が始動しました。これは私がボードへのお誘いをいただいた時点では聞いていなかった話だったため、私は就任早々に事前の話にない仕事をすることになりました。Rubyの高い機動性が生んだ現象です。
既に実施していたメタロッグわからせ杯は最初のSKP(当時)対応イベントとなり、私は施策説明用の記事作成やポイントの集計などを担当することになりました。
さすがRubyギルド、ボード実務経験がないほぼ初心者を採用したうえに、研修とか試験とかそういう期間はほぼなしで新施策の運用のために実戦投入していく。この思い切りの良さと柔軟さがRubyの強みのひとつだと思います。
まあ、Rubyが新ボードを求めていた理由をざっくりまとめると人手不足の解消っぽいので、そのために呼んだ新ボードを速やかに戦力として使いたいのは当然のことですね。そして、新しい試みゆえの試行錯誤や混乱はありつつも、なんとかWSKCを形にして運用し始めているのでこのやり方は間違っていなかったと言えるでしょう。
早い段階からギルドの新施策に携われたのはとても良い経験だと思っています。あと、新しいことに関していろいろ考えるのは楽しかったですね。
私がボードの立場に慣れずにてんやわんやしながら携わったWSKC施策は猛スピードで進んでいき、あっという間に初代王者決定戦が行われました。そして、その戦いの様子はエクシードさんとmoshaさんによって実況解説つきの配信が行われました。
「多少なりともWSKCに関わった身として、これは見るしかあるまい!」ということで、私ははじめてのクリスペ動画配信を視聴することになりました。
非常に簡潔に感想を述べると、楽しかったです。
詳しいことは当時の記事にまとめているので、こちらをご覧ください。
これ以降もRSCタイトルマッチのリプレイ配信は見るようにしていますし、後には自分が配信する側になるパターンも発生しているのですが、これはまた別の機会に。
この時に配信を視聴したことが、以降の活動に少なからず影響を与えている気がします。
さて、私がRubyに参加した直後から始動したWSKCですが、この名前は既にSKC財団ならびにSKCCを擁するDiamondギルドとの外交問題を生み出してしまいました。一時はXでレスバみたいなやり取りが起きたほどです。おお怖い怖い。
これに関しては初代王者のちゅみ助さんがS(すごく)K(かっこいい)C(ちゅみ助)として当時のDiamondボード3名全員を撃破したうえで協議の末に和解しました。
そのやり取りを経て、Rubyの施策はWSKCからRSC(Ruby Sentoukyo Classic)に姿を変えました。
この過程で私はヴィクティムエッジの刑に処されました。
この当時、ヴィクティムエッジの刑がプチ流行しようとしていたことを覚えています。
Rubyの方はRSCとして再スタートしたわけですが、現在WSKCの名前はDiamondに引き継がれ(あるべき場所に戻ったとも)あちらでもチャンピオンベルトを巡る戦いが行われています。
今回は9月上旬(若干8月下旬を含みつつ)から10月上旬までを振り返りました。Rubyのギルドボードに就任したことで、私のクリスペライフは全く予想していなかった進化を始めました。ALISで記事を書き始めた頃は未来の初心者が参考にできそうな記事を目指していたのですが、ここまで来てしまうと参考になるかはだいぶ怪しいですね。
次回は10月以降を振り返ります。なるべく次回で12月まで進んで、このシリーズにケリをつけたいと考えております。
10月以降でメインの話題と言えば――そう、AMAですね。書ける範囲のAMA裏話を準備したいと思います。
(振り返り範囲は変更となる場合があります)