今は昔、竹取の翁(おきな)といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば、さぬきの造(みやつこ)となむ言ひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。翁言ふやう、「我、朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて、知りぬ。子となり給ふべき人なめり」とて、手にうち入れて家へ持ちて来ぬ。妻(め)の嫗(おうな)に預けて養はす。うつくしきことかぎりなし。いと幼ければ籠(こ)に入れて養ふ。
時は変わりて現代、とけいといふ者ありけり。
コンビニにまじりて竹を取りつつ、おやつのことに使ひけり。
名をば、たけのこの里となむ言ひける。
その竹の中に、もと光る情報なむ一筋ありける。
あやしがりて寄りて見るに、ネットの中光りたり。
それを見れば、アリスばかりなるプラットフォームいとうつくしうてゐたり。
とけい言ふやう、「我、朝ごと夕ごとに見るALISの中に何か争ふにて、知りぬ。とりあえずたけのこの里を買って帰るで候」と、手にうち入れて家へ持ちて来ぬ。
冷蔵庫の中に預けて冷やす。
美味しいことかぎりなし。
いと甘ければ皿に入れて食ふ。
そんなとけいは「たけのこ派」です。