あの夏の朝、僕は窓から差し込む香港の喧騒で目を覚ました。
上海街115號2棲、1泊1400円。
いまや伝説の宿なんて呼ばれるラッキーハウスの小部屋の白い天井は、なんとか働く扇風機が拡散するアジアの熱気で新鮮に見えた。いい気分だった。
2段ベッドは壊れていて視界にはむき出しの骨組みだけ。足先で寝ていたタカシも目を覚ます。
昨夜は彼が中国・珠海の路上で買ってきた鶏肉と少しのコメを適当に煮て、しょう油をかけた簡素な料理を少し分けてもらった。タカシはパリから東に向かって10か月、安宿を渡り歩いている旅人だった。
ボサボサに伸びた髪、指紋がついて曇った眼鏡、お世辞にも綺麗とは言えない身なりの男の年齢は一つ下だった。
同じ部屋の小汚い旅人と出会う前の夜、僕は「100万ドル」の夜景を見るべく、半島から南の香港島のビクトリアピーク(山頂)に移動していた。
島の中環、山頂に向けて急勾配を駆け上がる鋼索式鉄道ピークトラムに乗ると、窓の外では、見たことのない角度でビルが後方に飛んでいく。
さながら銀河鉄道のようだ。
摩天楼の輝き、九龍の大パノラマ。
山頂から見下ろす景色に圧倒されていると、急に大粒の雨が降り出し、辺り一帯は土のにおいが立ちこめた。蒸し暑かった空気は急速に肌寒い温度になった。
傘を持っていなかった僕はただただ哀れに雨に打たれた。こんな弱みにつけこみ、メーターを切らないタクシーがハイエナのように観光客に車体を寄せる。
結局、雨の寒さに負け、宿代より高い値段を払い、ネイザンロードの安宿の小部屋に戻ったところでタカシに出会った。
「もう海外で刺激を受けることもない。ここまで来たから最後まで行こうと思う」。
旅も終わりに差し掛かっているらしい。深圳の電器街、台湾と移動して日本に帰るのだという。
その日の夜は、遅くまでお互いのこと、彼が旅してきた国の景色、日本の政治…様々な話に花が咲いた。
タカシは旅先の国の硬貨を集めていた。
香港の20セント硬貨だけないというので財布をひっくり返し、マカオパタカにまぎれて1枚だけあったお目当ての品をあげた。金色でフチが波打った硬貨だ。たいした荷物もない彼のリュックはまた少し重くなったが、彼の旅そのものである。
ただ、丁寧に小分けされた硬貨は怪しげな雰囲気を醸し出していた。
ラッキーハウスは対馬という爺さんの宿だった。爺さんは常ににこにこと笑い、心の底から旅人を愛しているようだった。
爺さんの弾き語りの歌に送り出され、また僕たちはそれぞれの旅路に戻った。南京虫がいて刺されるとトンでもなくかゆくなると聞いていたが、幸い虫とは出会わず、実に快適だった。
その後、対馬さんは亡くなり、ラッキーハウスは閉鎖したと聞いた。多くの旅人はここで何を語らい、どんな想いを持ってこのラッキードアをくぐったのか。
爺さんのいなくなったこの世界でも、安宿で旅人が感じた空気は好奇心をくすぐり続ける。
(続く)