3週間前に住んでいたルーマニアのシビウの家を突如追い出されてから(過去記事参照)は数日の間、街のホステルのドミトリールームに滞在しながら荷物の整理をしていた。一部は友人宅に保存し、一部は別の友人に郵送し、一部は売ったり捨てたりして荷物をまとめた。
いきなりの強制断捨離に驚いたが、意外にも気分は良い。常にどんな事に対しても心の準備が出来ている自分を誇りに思う。
旅ブログを書き始めて直ぐの記事にこの事件が起こったのは面白いシンクロニシティだ。
家を追い出された後に僕の人生のスタイルは大きく変わった。或いは本来のライフスタイルに戻ったという方が正確かもしれない。
所有物を減らし、軽量化、柔軟性のある旅人スタイルに戻らされた。
今までは2つのハンドパンを同時に演奏していたんだけど、2つ合わせて15キロ位あるので、そこに20キロ近いバックパックを合わせるとかなりの重量になる。
二つの相性の良い、違う音階のハンドパンを同時に演奏すると、独特の音色になって非常に気持ちが良いのだが、二つのハンドパン担いで旅するのはあまりにも非現実的でハードコアすぎるので一つのハンドパンを売りに出すことにした。
出国までの1週間ちょっとの間、隣町のブラショフに住むイギリス人の友人P君宅に泊めてもらえるか聞いたところ、快く受け入れてくれ、暖かく迎えてくれた。健康的な美味しい食事と暖かい家と友情。
彼の家につくと、彼も新しいハンドパンを手に入れたところ。ずっと欲しがっていたので、僕が別の友人に紹介して手に入れる手伝いをしたのだ。
彼が手に入れた新しいハンドパンは僕が現在売りに出しているハンドパンのD Hijazアラブ音階と相性のいい音階。
ちょうどここに持ってきているので、試しに合わせて演奏してみると、これがまた相性ピッタリ!
彼は新しいハンドパンを手に入れたところなんだけど、楽器同士の相性があまりにもいいので、僕が売りに出している物も欲しがったが、すでにカリフォルニアの友人に売る約束をしていたので断るしかなかった。
彼はもし、何らかの事が起こってカリフォルニアの友人に売らないなんてことになったら是非とも譲って欲しいと言ってきた。
相性のいい楽器同士が一緒にいるのが、楽器自身にとっても、周りの全ての人にとっても一番の幸せだと思うし、僕としても、箱に詰めて郵送したり、国際送金でお金を受け取ったりしなくて済むので一番楽ができる。
出来る事ならこのままの流れで彼に売りたい。
次の日の朝、ハンドパンを買う予定だったカリフォルニアの友人から連絡が来て、思ったよりも値段が高いので買うのをやめたいとのこと。ちゃんと値段をチェックしてなかったみたい。
見事な流れで僕のハンドパンは現在の滞在先の友人に引き取られることに。物事がスムーズに流れていくのはいい兆候だ。旅の流れをつかみ始めている。
非常に興味深いシンクロで、僕が家を追い出されたのと同じタイミングで、彼のルーマニア人の友人の女の子Mちゃんが僕と同じように家を追い出されて彼を頼って泊まりに来ていた。
大家さんが結構イかれた人らしく色々なトンデモ話を聞かせてくれた。ちょっとトラウマになっているようだ。
僕たちのような個性的な生き方をしている人達は一般社会から気味悪がられ村八分的な扱いを受ける事がたまにある。僕の友人の間でも似たような話はいくらでもある。
僕たちはお互いの境遇を理解し合い、次なる人生のステップを祝いあった。偶然/必然的な出会いと美しく愛に満ちた時間を共有した。
音楽を一緒に演奏したり、雪山の中に湧き水を汲みにハイキングしたり、誕生日パーティーにお寿司をいっぱい作ったり、何気ない日常だがとにかく楽しかった。彼らは僕に友情の美しさを思い出させてくれた。
ぼくはここ数ヶ月ほど、人との社交を控えていた。出来る限り静けさの中に身を置き、芸術的な創造に集中していたのだ。いっぱい瞑想して、いろんなものを創りだしたので、自己満足や効率という面では良かったが、人間生活としての温かい交流が不足していた。
可愛い子猫がぼくにとっての恋人みたいなものだったが。
楽しかったブラショフでの日々は過ぎ、出発の日が近づいた。僕は次の目的地であるタイに向かうために空港のある街へバスで向かった。ドイツのケルンを経由してバンコクへ向かう。
税金も荷物代も含めて3万円以下と言う格安チケットを買うことが出来たのは嬉しい。
フライトの前日に空港に着いて空港内のソファーで一泊する。出発が朝の7時なのでこの方法が一番簡単なのだ。
朝早くに起きて出国の手続き。まずは移民局で出国のスタンプを貰う。
係員が必死にメモをとりながら、僕の滞在日数を数えている。こっちはもちろん滞在日数のことなどもしっかり計算してチケットを買っているので問題ないはず。
が、係員は僕に向かって、”あなたは不法滞在している”、と。
”90日以内に出国するのに何が問題なんですか?”、と僕。
彼らが言うには日本人がルーマニアに滞在した後は、6ヶ月以上出国してからしか戻ってきてはいけないと言う一部の国籍にしか適用されない特別な法律があるとのこと。
確かに僕は7ヶ月前にルーマニアに滞在していて、3週間ポルトガルに小旅行に行って、またルーマニアに戻ってきていた。誰も何も言わなかったし、入国する時も全く問題なかったので、まるでキツネに化かされたような気分。
面倒くさい所にハマってしまった。
彼らは僕を事務所に連れていき、罰金を払うことに署名しないと国を出られないと言う。彼らが事務手続きをしている間に記録用のノートに書かれた過去の事例が目に入ってきた。そこにはいくつか別の日本人の名前が。おそらくただの被害妄想だろうが、まるで日本人を引っ掛けて罰金を取る罠のように感じてしまう。
彼らが書類を作っている間にもフライトの時間は刻々と迫ってくる。さり気なく早くしてくれとせっつくと、イライラしながら怒りかえしてくる。嫌な感じのストレスだ。
最終的に800レイ(約2万円)の罰金を次回の入国の際に支払うという書類にサインさせられた。今回に払わなくて良いのがせめてもの救い。
次回ルーマニアに入国するときはパスポートを更新して払わないで済むようにしよう。
結局、出港10分前になんとか飛行機に乗り込み、無事にタイへ飛び立つことが出来た。
なんやかんやと色々とあったが、寒い冬のヨーロッパを抜け出して暖かい南の島へ脱出する事に成功!
つづく。。。
次回は、国王陛下が崩御されて喪に服すバンコクへ到着し、バスキングで生活費を稼ぎつつ、お寺に瞑想しに行く話。
国王が亡くなって直後の悲しみに暮れるタイに来た(現在004)
(この記事は2016年11月29日に自身のブログに投稿した物を加筆修正してアリスに再投稿したものです。今後はアリスを中心に活動していこうと思っているので応援よろしくお願いします。コメントや質問なども大歓迎です。)