先日書いた記事が、思いのほか反響をいただいて嬉しかったのでもうひとつ今回は「実際の体験談」を書きたいと思います。
ぼくはオープンなタイプなので普通に顔出しとかしちゃうため、昨日書いた記事が部下の目にも入ったようですw
ありがたいですね、こういうのは。
あっ、会社では普通に下の名前で呼ばれてます。はいw
なので、メンバーも目にする可能性があることを踏まえた上で、ぼくの支社設立時代の体験談とぼくなりの「仕事のやりがいとは?」というのを書かせてください。
ここから仕事漬けの日々が始まった。
ぼくが勤めている会社は、先日も書いたとおり、もうそれはそれはベタベタなベンチャー企業です。年功序列という言葉とは全くの無縁で、やればやるだけキャリア・学歴関係なく役職がついていきました。
かく言うぼくも、そんなベンチャー特有のスピード感についていくのが楽しくて、毎日深夜まで仕事をしていても辛いと感じたことは、ただの一回もありませんでした。たぶん、「やらされないこと」が大事なんだと思います。
普通に働いていると30代で任されるようなことを、20代で経験させてくれていた環境に感謝していました。
そして、前のめりな仕事をしていた甲斐もあり、ぼくは26才にして札幌支社のNo.2にまで昇格していました。
そんな最中、東京の本社から札幌支社へ来ていた社長にランチに誘われます。
何かあるなぁとは思ったけど、出てきたセリフが「わたるさ、もうひとつ支社を作ろうと思ってんだけど、やらない?」と。
このとき28才。正直めちゃくちゃ迷いました。
札幌支社でそれなりのポジションを確立していましたし、何より居心地が良くなってきていた頃だったので、かなり悩みましたね。
支社とは言え、条件は「ひとりで立ち上げる」こと、でした。かなりリスクが大きいし、失敗したときには高い確率で、現在の居場所も失うであろうと思っていたからです。
迷ったら、難しいほうを選べ。
もうぼくが偉そうに、当時メンバーに口すっぱく吐いていたセリフです。
自分はドヤ顔でこんなことをほざくくせに、何を自分は居心地のよさを捨てあぐねて挑戦に後ろ向きになっているんだ、と。
翌日、社長へ「支社の立ち上げやります。」と返事をしました。
子会社は四国に設立したいと思っていました。
なぜなら、うちの会社は東京、札幌、福岡にそれぞれ拠点があり、四国にはなかったからです。そんな軽い理由で四国一点狙いに定めていました。
各県の県庁に挨拶まわりをさせていただいたとき、徳島県知事の飯泉知事がとてもウェルカムだったんですね。「ぜひ徳島に作って雇用創出にご協力ください!」って。
ぼくはそんな知事の熱い想いに胸打たれて、徳島県に設立を決めました。
(本当は一番好きな街は愛媛の松山だったんですけどw)
このときは8月、そしてオープンの予定は10月。
トップスピードで準備を進めていました。
会社設立のオフィス工事!
什器・備品の購入から、パソコンの購入などを同時に進めました。遊び心で天井からテレビを吊るしてみたり…。
オフィス準備と同時に、オープニングスタッフの採用。随時レンタルオフィスを使って面接をしていました。
アルバイト、責任者候補の正社員の募集面接を行いつつ、隙間の時間にはオフィスが設計図通りになされているかを見に来るというタイトな時間を過ごしていました。
そして、オープニング前には責任者候補を5名決めることができました。
そして、責任者候補に向けて、オープン前に研修を実施。
支社設立を決めてから、約1ヶ月。
無休で動き回った怒涛の毎日でしたが不思議と疲れはそれほど感じず、むしろ新しい仲間とどんな会社が創れるかのワクワクでいっぱいでした。
地方特有ですよね。アレです。
会社設立する瞬間と同時にテープカットを行うイベント。県が歓迎してくれているということで、開催することになりました。
ぶっちゃけ、ぼくは人前で話をするのは得意なほうで、緊張とかまったくないんですけど、このときは人生で初めて人前で話すことに緊張しました。
・徳島県知事
・徳島県副知事
・徳島銀行頭取
・阿波銀行頭取
・徳島市長
などそうそうたるお役所のお偉いさん方が、こんな若輩者のスピーチを聞きに、会社設立の瞬間にお集まりいただけたのです。
今となっては思い出と化していますが、いやぁ〜緊張しました。
地方特有の文化ですよね、これ。こんな顔ぶれの前で決意表明をしたわけですから、もう絶対に会社をでかくして、雇用創出に一役買うしかない!と思っていました。
オープニングセレモニーと同時に会社は動き始めました。
責任者候補の正社員5名。アルバイト16名の計21名で記念すべきスタートです。
覚悟はしていました。
責任者候補とはいえ、最初から責任者として機能はしません。
なので、設立当初ぼくの行っていた業務は、
・クライアント対応
・責任者へのタスク落とし込み、クライアント対応落とし込み
・他拠点(東京、札幌、福岡)との連携や、社内会議
・アルバイトメンバーへの教育、サポート
・メンバー増員のための面接、採用決定者の入社手続き、研修実施メンバー増員のための面接、採用決定者の入社手続き、研修実施
これで業務時間はいっぱいいっぱいでした。
ほとんどメールを見る時間すらなかったので、業務終了後の残業中に、
・メールチェック
・クライアントへの納品物提出
・社内稼働成績の進捗管理、KPI管理
・収支算出
・アルバイトメンバーの人件費計算、弥生会計処理
・翌営業日のメンバーへの指導プラン、資料作成
一人何役もこなしてた気がします。
立ち上げから4ヶ月間は、1日も休まず働いていて、尚且つ帰宅も朝4時とかでした。
週に3回くらいは会社にそのまま寝泊まりして、次の日の早朝、掃除のおばちゃんが起こしてくれて、シャワーだけ浴びに一瞬帰宅する。という生活をしていました。
忘れもしない。10月にオープンした年の、年内最終日のことでした。
このとき、従業員は30名まで増えており、一度メンバー全員のモチベーション管理も兼ねて、全員一人一人と面談をしていました。
メンバーの不満とかもこのタイミングで全部吐き出させて、毒抜きをしたかったのです。
そしたら、思いのほか毒が出てきましてww
ぼくもかなりいっぱいいっぱいだった中で、視野が狭くなっていました。
冷静に考えて、全然うまく回せてなかったんですけど、なんとかやれてると思ってた中で、バンバン出てくる毒が。
たぶん、その瞬間に一気に今までの蓄積していた疲労が吹き出したんでしょう。気が張っていたのが一瞬冷めてしまったというか。未熟というか。
10人目くらいの面談中に、いきなり意識が朦朧となって倒れてしまいました。
目が覚めて気づいたら、こんな状態でしたね。
病院のベッドの上ww
診断結果はシンプル。過労でした。
このとき、ぼくはすごく反省したんですよね。全然メンバーを楽しくさせられてなかった、と。
そりゃそうですよね。
まがいなりにも、トップのぼくが忙しそうにしていたら、従業員が会社に安住できるわけがないんです。とても勉強になりました。
上司がヒマであればヒマなほど、組織は建設的に回ってます。これは絶対です。
この学びをきっかけに、ぼくは本社へ「支社の稼働を一ヶ月止める」ことを伝えました。相談ではなく、決定事項として伝えました。
えー、社長にブチ切れられましたwwwww
でも、しょうがなかった。
現場を見てない社長には、メンバーの表情を直接見てない社長には、ぼくの意見を覆させるわけにはいかなかったので、強引に止めました。
休みたいわけではありませんよ。
目的は、一ヶ月集中的に責任者教育に時間を充てたかったのです。
徹底的に責任者だけに研修を打ち、やって見せを実践して、可能な限りのケーススタディを落とし込みました。
ぼくが悟ったのは、たぶんぼくが限界まで動き回れば、会社そのものは回る。
だけど、メンバーもいっぱいいっぱいになり、ガス抜き場所が一切なかった。すごく魅力のない会社になるところでした。
だから、ぼくは徹底的に現場を監督できる人材を教育して、できる限りぼくは現場への直接介入から離れるべきだと思ったのです。
そうすることで、今まで忙しすぎて盲目になっていたメンバー全員の仕事中の表情や、働きやすい環境づくりに目を配る余裕ができて、メンバーのガス抜き場所としてぼくは機能できるようになったのです。
メンバーが楽しく伸び伸び仕事をするためなら、ぼくをうまく使って欲しいと思っていました。
いくらでも話を聞く時間を設けて、すっきり仕事をしてもらうことに集中できるようになり、不思議と組織がうまく回り始めたんですよね。離職率も激減しました。
その結果、設立から半年後には従業員が80名まで増えていました。
この経験は、自分の未熟さを教えてくれましたし、メンバーのありがたさを教えてくれました。
そして、なにより改めて仕事って楽しいな!って気づかされました。
・一緒に働いてくれるメンバーがいること。フォローして、フォローしてもらう瞬間。
・ひとつのプロジェクトをチーム一丸となって一心不乱でやり遂げたときの達成感。みんなのバンザイ、笑顔を見た瞬間。
・ときにはきついことを言って恨まれもするけど、ときには「ありがとう」と言ってもらえる瞬間。
・仕事中とは言え、たまに集中力がきれてふざけ合っている瞬間。
こういうメンバーってほんとかけがえのないというか、「仕事」というフィルターを通さないと築けない間柄なんですよね。仕事ってスゲェなー!って思います。
ぼくは根がだらしない男で、ほんと休みの日はグータラしている人間なわけです。
だからこそ、仕事をしていないと間違いなく人間としてダメになるタイプなので、仕事に生かされてると感じてます。
もっというと、メンバーがいるからがんばれてきた、というのが大きいです。ひとりじゃ絶対に自分に甘えちゃう。
ある日、ひとりオフィスで残業していたとき、あるアルバイトが突然こんなメッセージをしてくれたことがありました。
イマドキの人は、iPadをこういう風に使うんですねww
ぼくが結構情に厚いほうなので、家族のような感覚で接しちゃう悪いクセがあるんですが、がんばろ!ってなりますね。
ぼくは常々メンバーに、「俺に仕事をやらされるな」ということを口ぐせのように伝えています。だから、マジで生意気なコミュニケーションを取られてましたがww
でも、それでいいと思っています。ぼくは上司はえらいという感覚がありません。
だから絶対にぼくにやらされないで欲しいと強く思っていて、反論大歓迎な文化を作っていました。
そもそも、ぼくは適当なので、部下がたいてい「○○だと思います。」と言ってきたら、「そうなんだ、じゃあやってみ。」と返す。
それでやってみてうまく行かなければ軌道修正してやればいいだけで、ほとんど自由に、自らの意志で仕事をやってもらってました。
ぼく自身が仕事はやらされないから楽しい!というブレない信念があるから。
やらされる仕事は仕事じゃない。それはあくまでも作業。
作業と仕事は違う。やらされずに、自らの意志で動かす・変化をつけるのが仕事だから。
きっと、仕事がつまんないと言っている人の大半は作業がつまらないという意味だと思っています。本当の仕事は楽しいことがたくさんあるはず。
どんだけ辛かったって、休めなかったって、寝不足になっても、経験上それはやらされてなかったら楽しくてしょうがないんです。
やらされる職場、自分からやれない職場ならやめた方がいいのはぼくも賛成。つまらないもんね。
でも、やれる環境なのに、やってないだけで仕事つまらないと言っている人は、まずやれよ!と思います。
絶対に仕事観が180度変わる。過労で倒れても別に楽しいんですw(そこまで自分を追い込むのはまずいですけど)
仕事がつまらないってすごく人生もったいないです。
誰かが楽しくしてくれることはありません。
ブログやこのALISだって、書かされないから楽しいはず。
仕事も一緒。やらされないこと、もしくはやらされない(主張を立ててくれる風通しの良い組織)環境に身を置けば、仕事が楽しくて何時間でも仕事に夢中になれるんです。
今はむしろ働きやすい環境を求めるべき時代だし、見つけやすい時代。
仕事の楽しさを考え直すために、目を背けずに一度でいいからガッツリと働いてみるのも一興なのかなって思います。