以前に友達のOfficeにビジネスセミナーを受けに行ったら…
何と!そこは、かつてのジュリアナ東京があったビル‼︎
😱🙀😆
数日くらい前から、たまたまYouTubeで見ていた動画がシンクロするとは…σ(^_^;)
怖いです(^◇^;)
http://www.youtube.com/watch?v=vcewdW7BTDA&sns=em
「第3東運ビル(東京ポートボウル)」データ/概要
竣工年:1973年
高さ:9階
所在地:東京都港区芝浦1-13-10
港区芝浦にあるボウリング場とオフィスの複合ビル。かつて一世を風靡したジュリアナ東京もこのビル内にあった。
7階にあるボウリング場「東京ポートボウル」はワンフロアに34レーンを備える大型ボーリング場。他にビリヤードとレストランもある。
ジュリアナ東京があったフロアも2007年にはオフィスに改装されている。
懐かしいボーリング場🎳
まだ残ってた…^ - ^
若干!当時の、それらしい雰囲気も
残ってる。(^ν^)❗️
破産しなくて良かったあー❗️(((o(*゚▽゚*)o)))
夕飯はアルコール無し(^_−)−☆(笑)
ジュリアナ東京(ジュリアナとうきょう)は、1991年(平成3年)5月15日から1994年(平成6年)8月31日までウォーターフロントと呼ばれた東京都港区芝浦にジュリアナ東京ブームを築いた伝説的なディスコである。正式名称は「JULIANA'S TOKYO British discotheque in 芝浦」である。
ジュリアナ閉店は1994年8/31
すでに25年前。
田町❗️の夜🌉を
想い出しました。
メディアの取材が1日20社を超えることもあり、海外メディアも取材していた。映画の試写会、サークルのイベントパーティ、企業の貸切イベント等がジュリアナで実施された。オーダーは着席ゲストしか取らない(人が多すぎてオーダーしたゲストを識別できない。伝票にテーブルナンバーが書けない)ため、バーやフードコーナーに基本的に並ぶ必要があった。混んでいると30分から1時間程度並ぶ必要があった。全盛期は、平日でも1000人以上の集客があり、台風で山手線が止まった月曜日[いつ?]であっても、約800人が来店した。1992年 - 1993年頃の金・土・日曜日は2000人以上、3000人を超えることもままあった。そのため、店内が鮨詰め状態であり、周囲の他人と触れることなく、店内を移動することは不可能であった。
店内は基本的にフリーシート。しかしVIPルームを含めても、席数は300弱であったため、ほとんどのゲストが着席できない状態であった。開店前には、田町の東京ガスの外塀の前にまで行列ができ、約500人は開店前に並ぶことも頻繁であった。一方、ドレスコード、入場制限等で、一日500人以上のゲストの入場をお断りすることもあった。一般的にジュリ扇と言われる羽の扇子は、田町駅からジュリアナまでの間の歩道の露天等でよく売られていた。また、閉店間際になると、帰宅する女性を家まで送り届けるという名目で、周辺でゲッターズと呼ばれるナンパ車が多く出没した。帰りの山手線の中でも、ボディコンを着たまま電車に乗って帰る女性が数多く見受けられた。 最終営業日の入場者数は約4000人。1万人が並んだと言われ、入場できないゲストの様子がTVでも放映された。また、2008年にavex20th anniversary企画として、Club Legendが実施され、ディファ有明において、一日限りジュリアナ東京が復活した。その時の入場者数も4000人、1万3000人が並んだとされる。
お立ち台
高さ約130cm、幅6 - 7m、奥行1 - 1.5m。各両脇から登台可。長方形ではなく、ダンスフロア側は扇方状の弧の様になっていた。縁は真鍮でコーディング。ダンスフロアをはさんで左右に設置。お立ち台の下はボディソニックスピーカー。後に撤去され、クリスタル(サイド)ステージと名前を変え、高さも面積も縮小され復活。
寂しかったあー😭
当時のテレ朝📺の
放映されてましたね( ^ω^ )
しかし!
15年後のジュリアナ復活⤴️イベントでは
会ったけどねー(^з^)-☆