この論考はフィクションです。実在する人物、キャラクターなどに関係はございません。
「ご主人様」
いつもどおりのか細い声で、彼女は私を呼ぶ。
「お茶を…淹れました」
そう言って、彼女は私の手元にティーカップを差し出す。刹那、ポットを持ち上げて注ぎ口を傾ける手元が狂い、沸かしたての紅茶が彼女の真っ白な手の上に爆ぜた。
「おい、大丈夫か!?」
「……はい。わたくし…熱さを感じませんもので」
ーー1年前。私は最愛の妻を病で失った。
私がまだ毎日の食べ物に苦労していた頃から支えてくれた女性だった。発明家を志していた僕に何の芽も出ない頃から、毎日出稼ぎで家政婦の仕事をし、私たち二人の生活を一手に支えてくれた。甲斐性のない私に何の文句も言わず、寄り添ってくれた。
数年前、私は画期的な発明をした。これまで魔法陣を用いなければならなかった召喚術を、一枚の札によって可能にしたのだ。瞬く間にその発明は世界に知れ渡り、私は巨額の富を手にした。そうなってからも、妻の笑顔は変わらなかった。時に怒ると怖いところもあったが、そんなところも含めて妻が大好きだった。私は妻と2人で過ごすため、アルケスの郊外に館をこしらえた。
幸せな日々が続くかと思ったその矢先、妻は原因不明の病に伏した。
「ご主人様」
「…ああ」
「奥様のことを、思い出されているのですね」
「すまんな」
「いえ」
妻が亡くなってから、私は何をする気にもなれなかった。この地に友人などいない。自宅で一人、ぼうっと思索に耽る日が続いた。どうやら、時々散歩をしながらぶつぶつと独りごとを言う私を気味悪がって、誰かが通報したらしい。私の家を警察官と医師が尋ねてきた。すぐさま医師は、私をこころの病だといった。どうか、亡き妻ばかりを想うのではなく、人に触れよと。
もはや私には生きる気力もなく、家事も掃除もしなかったため、我が館はゴミ屋敷と化そうとしていた。そこで、私は家政婦を雇うことにした。家政婦とでも話していれば、私も正気を取り戻すに違いないと、主治医も賛成してくれた。
家政婦の募集には申し込みが殺到した。その多さには驚いたが、何人も雇うのは億劫だと、私は一人一人を呼び、半ば面接のような人定めをすることとなった。
ところが、その試みは想像を超えた苦痛を伴った。
やってきたのは、多くは私より一回りかそれ以上若い女性だった。中にはその地の名士の娘もいた。極めて美しく、気品のある女性もいた。しかし、どの者と話しても、私の財産を目当てにして結婚を望んでいるのではないかという疑念を感じた。いや、否応なしにそう考えざるを得ないほど、私の発明は富を築きすぎた。
私の愛したのは妻ただ一人、それは今後も変わらない。きっと妻の亡き後に家政婦を迎えることだって、私にはそもそも受け入れがたいことであったのだ。最後の一人を面接室に招き入れたが、半ば私はどうでもよくなりかけていた。
扉が空くと、そこには真っ白な肌の女性が立っていた。
「また女か…」
そう思いかけた。が、これまで面接してきた何人もの女性とは、少し感じが違うように思えた。そこには、私の財産を目当てにした欲望のようなものが一切感じられなかった。
…いや、人間としての生気そのものが感じられなかったといって良い。
興味深く、私はその少女にさまざまな質問をした。出身地は亡き妻の出身地にほど近い地名だった。家政婦を志望したのは、過去に同じ仕事をしていたことがあったかららしい。
「そういえば、お名前は?」
私が聞くと、右目に眼帯をした少女は、少しの間の後、か細い声でこう告げた。
「私は、ゾンビメイドです。名前はありません」
ゾンビメイド。
正気な人間であれば、本来、その発言に恐れ慄くべきだったであろう。しかしその時私は、目の前の少女に名状しがたい親近感を覚えていた。
パメラ。
亡き妻パーミラの名前を少し文字って、私はその少女に名を与えた。
それから、ゾンビメイドのパメラと私との生活が始まった。パメラはよく働いた。瞬く間に館の中は片付いて綺麗になり、昔妻と住んでいた当時のそれに戻りつつあった。
パメラは口数の少ない女性だったが、かえってそれが心地よかった。時には妻の思い出話をしても、パメラは微笑みを浮かべながら静かに聞いてくれた。主治医によれば、私の様子も少しずつマシになってきていたらしい。うわ言を言いながらする散歩も無くなり、しばしば商店に出ては一人分の食材を買って館に戻ったようだ。その姿は少し寂しそうであったということだが、彼女は食物を摂らないのでしかたあるまい。
私は紅茶をゆっくりと飲み終えると、彼女に微笑みかけた。
「もう私は寝るから、君も…」
「いえ、私には睡眠は必要ありませんので」
「そうだったね」
私はいつものとおり寝床につく。パメラは、その間居間で目を開けたまま夜を明かし、何を想うのだろうか。
だが、その日はいつもと違う夜となった。
ガシャンと枕元の窓が割れる音が鳴り響き、私は飛び起きた。目の前に明らかに私に敵意のあるいくつもの影が姿を現す。その集団のひとりが短く詠唱すると、異空間よりグリフィンが現れ、私を襲ってきた。
「し、召喚術師…!」
発明により巨額の富を築き上げた私とこうした危険とは隣り合わせだった。何度か賊に襲われそうになったこともある。しかし私の発明は召喚術に関するものだ。私は有力な白魔導士でもあった。それが抑止力となり、私を襲おうとする者はほとんどいなかった。
しかし夜中の急襲、それも召喚術師となれば私とて直ちに対応は困難だ。
私はホーリー・ボルトの呪文を唱えてグリフィンを焼き払ったが、続けてミノタウロスの突撃兵や煌めく一角獣が現れ、私に大きな傷を与えた。
私は咄嗟に枕元のカードを取り詠唱を試みた。
「知恵の女神よ…!」
しかし、その召喚が急襲に間に合わないことはわかっていた。亡き妻の形見である知恵の女神の召喚術だが、召喚したとて、突撃兵と一角獣の猛攻に身体が耐えるはずがない。
死を覚悟したその時、寝室のドアが開き、彼女が現れた。
「ご主人様!」
「パメラ!いけない!逃げなさい!!」
傷を負って朦朧とした視界の中、私は本能でそう叫んでいた。しかし、彼女は歩みを止めず、私と獣たちとの間に立ち塞がった。
「ご主人サマニハ、コレ以上指一本触れサセナイ」
その声は、私が聞いたことのない声だった。いつものか細いパメラの声ではなく、脳にそのまま響いてくるような、悍ましい声。
見れば、薄く差した月明かりの下、真っ白なパメラの肌はみるみるうちに腐敗してただれ、腐臭を放っていた。髪の毛はドロドロと溶け、大きな瞳は眼球ごとぼとりと床に落ち、ほどけた眼帯の奥には大きな穴が穿たれていた。
「ゴボァアァ…」
声にならない咆哮と同時に、再び寝室のドアの方から床を踏み荒らす音がした。見ると、美しいパメラ”だったもの”と同じ醜態を取った怪物たちが2匹、いや3匹が寝室に雪崩れ込んできた。
現れたそれらは、瞬く間に獣たちを包囲して襲い、貪り、そして喰った。獣たちは跡形もなくなり、襲ってきた賊は白骨になっていた。
気づけば、私が負っていたはずの傷は全く跡形もなく消えていた。しかし、問題はそこではなかった。晩餐を終え私の方を見たパメラだったものたちが、返り血で真っ赤に染まったエプロンの裾を持ち、丁寧にお辞儀をする。
「コレカラモ、一緒にイテクレマスカ。ソレトモ…」
その姿を直視し、私は胃から込み上げてくるものを抑えられない。下腹部も暖かく湿ってゆくのを感じる。
「ワタシタチのトコロニ、キテクレマスカ」
私は幸せだったのだろう。
こうして、唯一愛した妻と共に、妻自身のところに行けるのならば。