こんにちは。ZAPです。
課金の価値も書きあがったところで、今度はゲームの終わりについて考えてみようと思います。
まぁ、「終わり」っていうと、ネガティブなイメージしかないと思いますが、今のゲームはなぜこの形に落ち着いているのかという記事になる予定です。
※正解くに言うと今回はウィムジカルウォーの記事ではないです。
・ゲームとは
「ゲームとは何か」とたずねられた時、あなたはなんと答えますか?先人の言葉で最もしっくり言った言葉があったのでここで引用させていただきます。
「ゲームとは能力の判定装置」であると。(検索したら島国大和さんでした。かなり昔の記事だった。)つまりあるゲームではボスキャラに勝つことで、またあるゲームではハイスコアを出すことで、そして対戦相手を打ち負かすことで快感を得られる装置なのだと。
そしてこの「能力」とは現実世界では必要のない才能であると。現実でうだつがあがらないやつでも各ゲームのニッチ名世界で輝けるやつがいるんだと。そういう娯楽なんだというわけです。
これの何がすごいかというと、「能力を測定」することって、現実社会ではものすごく難しいことなんです。たとえば会社の入社試験で面接をしたりしますが、面接によって人物の才能はほぼ見抜けないといわれています。
また、さまざまな資格(英検とか、パソコン検定とか、免許とか、出身大学とか)は、その人がどんな能力を持っているかを証明するための手段であるのですが、大雑把にしか能力を判定できないし、そのテストのための勉強を強制されたりするし、むしろ資格に振り回される人が続出したりででとても非効率です。
でも、それに頼らざるを得ないほど人の能力って分からないんですね。
ゲームがなぜ現実ではできない人間の能力を判定できるのか。それは簡単で、
・ゲームの世界が単純なルールでできている
・能力を測る(勝ち負けを決める)指標が明確である
からです。これは勝った方のうれしさと負けた方の悔しさを最大限まで引き上げる威力があります。なんといっても「逃げ場」がありませんからね。「実力でまけたので」
次回から自分的な対戦ゲームの歴史をたどって行きたいと思います。