この記事では、ジャン・ジャック・ルソーが著した“エミール”から、子育てや生活に役立つような言葉を抜粋して紹介していきます。
“子どもは子どもの教育が必要である”と考えたルソーの考えを、1記事に3つずつまとめていきます。
「子どもを物知りにできれば十分と考えるのは愚かなことだ。」
知識を詰め込むだけでは意味がないという意味ですね。
これ続けて、
「子どに学問をあたえることが問題なのではなく、学問を愛する趣味をあたえ、この趣味が発達したときに学問を学ぶための方法を教えることが問題なのだ。」
と述べています。
こう導く方法として、
「彼の方から質問してきたら、好奇心を十分に満たしてやるのではなく、それをはぐくむのに必要な程度の返事をしたらいい。」
ともアドバイスしています。
ただし
「もし行き当たりばったりのくだらない質問をしようとしたのならば、返事をするのをすぐにやめることだ。」
…だそうです。
「子どもは、そう言われたからといって何かするようではいけない。」
いわゆる指示待ち人間にならないための注意喚起ですね。
子どもは小さな大人と言われていた当時のヨーロッパ社会では、言うことをよく聞き、大人の仕事に早く携わる子どもが求められていました。
ただ言うことを聞かせるだけの教育は、子どもの発達に必要ではないとルソーは考えたのですね。
そうやって育った子どもは、
“いつも人の意のままに動かされ、他人の手で動かされる器械(機械)のようなものにしかなれない”
その結果、大きくなって、信じやすく、騙されやすくなってしまうと注告しています。
「第一に、生徒が学ぶべきことをあなた方が指示してやる必要はめったにない。」
“やらされる”のではなく“自分からやる”勉強の大切さを謳ったものですね。
続けてルソーは、
「生徒のほうでそれを要求し、探究し、発見しなければならないのだ。」
と言っています。
では私たちはどうすれば良いのか。
それは、興味を彼の手の届くところにおき、巧みにその要求を生じさせ、それを満たす手段を提供すればいいとルソーは主張しています。
今回は子どもが自発的に学ぶ大切さについての言葉でしたね。
子どもに限らず、自分から意味を見出して勉強に臨んだ方が良いに決まっています。
義務教育がある以上、大人が工夫をしない限り受け身になってしまいます。
色んな教材が世に溢れていますが、中でも効果的だと感じているのは大人が学ぶ姿を見せることです。
学ぶ楽しさや大変さを見てもらい、学んで良かったことを証明することが、大人の役割の一つだと思っています。
家庭環境が第一ですが、その他の環境の一つとして学校や塾を上手く活用できると良いですね。