プトレマイオス1世に続き紹介するのは、アレクサンドロス大王が誇るディアドコイのひとり“セレウコス”です。
大王の死後、後継者争いに参加したディアドコイのひとりでもあります。
(ディアドコイは複数を指す、ディアドコスは単数を指します。)
後に勝利王(ニカトール)と呼ばれたこの男。
今回は、彼が後継者争いに突入するまでを紹介していきます。
セレウコスとペルディッカス
マケドニア王アンティオコスの息子として生を授かったセレウコス。
彼の過去が書かれた記述は少なく謎が多い人物であるが、ヘタイロイ(アレクサンドロス大王直属の精鋭兵)として重装歩兵を指揮していたことが分かっている。
大王の死後は、アレクサンドロス4世(アレクサンドロス大王の子供)の摂政ペルディッカスの配下で武功を挙げていた。
ペルディッカスはアレクサンドロス大王が厚く信頼を置く人物のひとりである。
イッソスの戦いやガウガメラの戦いをはじめとする多くの戦いで活躍し、ナンバー2とまで称される武将であった。
アレクサンドロス大王の臨終に立ち会い、印綬の指輪を受け取ったのも彼である。
大王の死後、生まれたばかりのアレクサンドロス4世の摂政としてマケドニアを統治する。
大王なき今、王座を狙う者を抑えることはできず反ペルディッカス同盟を作られるも、これを成敗せんとマケドニアを立ったのが彼の最後であった。
反ペルディッカス同盟の討伐のためエジプト遠征に参加していたセレウコス。
ナイル川を渡り敵の本陣に向けて軍を進める手筈であったが、敵の先鋒にナイル川すら渡らせてもらえずに退却する自軍を見て落胆する。
大将であったペルディッカスに見切りをつけ、同僚の将軍たちと共にペルディッカスを暗殺してしまう。
これをきっかけにバビロニア太守の座を獲得したセレウコス。
首都バビロンでを拠点に善政を敷きセレウコス朝を確立し、自らもアレクサンドロス大王の後継者として名乗りを挙げる。
このセレウコスの台頭は、ディアドコイ戦争を激化させる火種になっていくのである。