この記事は全12回にまとめてきた「日本史料のウラ話」シリーズのアクセス記事です。
それぞれの記事の紹介とともにリンクを載せているので、興味がある記事があったら覗いてみてください!
「どうだ明るくなったろう」で有名な成金おじさん。
こういった成金たちはどうして生まれたのか。
第一次世界大戦による戦争景気について、成金の誕生とともにまとめています。
「銀行が破綻する?」そんな噂を聞きつけた国民たちが銀行から次々お金を下ろしたことで取り付け騒ぎが勃発。
日本の経済危機を救ったのは、高橋是清のある提案でした。
「政治家は嘘を言ったり、言い抜けしたりするものではない」
“強く、正しく、明るき政治”を信念に掲げていた浜口雄幸。
ライオン宰相とも呼ばれた剛担の持ち主の暗殺未遂事件です。
第二次世界大戦後、昭和天皇はマッカーサーのもとへ会合に訪れました。
マッカーサーは昭和天皇がどんな命乞いをするのかを考えていたようですが、実際に会ってみるとその印象は間違っていたことに気づきます。
昭和九年ごろ、凶作による食糧難の悲惨さを伝える子どもたちの写真。
この写真自体は演出があることが指摘されていますが、それほどの凶作があったことは事実でした。
この写真の数年前にも、貧困に手を打たなかった政府へのクーデターが起きていたりと、時代に深く関係する事柄であることもまた事実でした。
「板垣死すとも……」のフレーズで有名な板垣退助暗殺事件。
犯人は立憲帝政党(君主的な政治に重きを置く政党)が主催する新聞の愛読者だったようで、国民の政治への参加を促す自由党に悪印象をもっていたようです。
幸い一命を取り留めた退助は、その後“自由民権の神”となり政権奪取に大きなちからを得ました。
現在の選挙で広く行われている“街頭演説”。
日本初の政党内閣を創った人物である大隈重信が、列車の中などから民衆に向かって演説をしたことに由来するとされています。
記事では、政府の汚職事件と大隈台頭についてまとめています。
戦争が生んだ悲しき少年を写した写真。
撮影者によると、少年は死んだ赤子の火葬を待っているようです。
それでも凛と背筋を正して直立する少年は、一体どのような教育を施されてきたのでしょうか。
江戸の無血開城と言えば平和的で美談とも取れる歴史のワンシーンです。
しかしそのウラには、当時の政府と幕府のせめぎ合いが隠れていました。
勝海舟と西郷隆盛の交渉に見え隠れする激動の時代をまとめています。
「空から御札が降ってきた」という怪現象から、全国的に広がった“ええじゃないか”。
踊り歩いて神社に参拝するお祭りのような出来事ですが、これは実は討幕派の計画だったのではないかという見方がされています。
記事では“ええじゃないか”が起こったきっかけや、乱痴気騒ぎの中みについてまとめています。
立場の差や責任者を明示しない日本独特の契約書である“傘連判状”。
記事では、宝暦六年(1756年)に起こった群上一揆をテーマに取り上げ、領主や農民との関係についてまとめています。
価値の裏付けが弱いお札を刷り過ぎたことよる物価の上昇。
そういった紙幣を回収しようとするため、民間銀行の設立を奨励して紙幣の新陳代謝を促そうとしました。
しかし皆紙幣よりも銀の価値に目がいってしまったために、銀行が経営難に……。