ビスマルクことオットー・フォン・ビスマルク。
プロイセン王国のリーダー(首相)として豪腕を奮い、「鉄血宰相」の異名を持つ人物です。
プロイセン王国首相→北ドイツ連邦首相→ドイツ帝国首相と凄まじい経歴を持っている彼ですが、その人生は波乱に満ちたものでした。
今回は、そんなドイツ帝国を成した男「ビスマルク」についてまとめていきたいと思います。
それでは本題へ!
鉄血宰相の誕生
1815年、ビスマルクはプロイセンのユンカー(農業貴族)の息子として生まれました。
父のフェルディナントは寛大な性格で、ユンカーとしての生活に誇りを持ちながら生活していました。
ビスマルクは父を「尊敬できる人である。」と言葉を残しています。
対して母親のヴィルヘルミーネは、ビスマルクを立派な貴族にするため、徹底したスパルタ教育を施していきました。
ビスマルクが6歳になると、刑務所と揶揄されるほど規律が厳しいプラーマン学校に入学させられます。
彼は手紙に、
とまで書き残す程でした。
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