(前へ)
スーツケースだらけの人混みをかき分け、妻と娘を探す。
ここは羽田空港。
これから私は韓国に家族旅行。売店のビニール袋をぶら下げ、あたりを見渡す。
あぁ、もう搭乗口に並んでいたか。
二人に向かいゆったりと歩き出す。
ようやく一息つき家族との時間が過ごせる。仕事で随分と家庭内評価が下がったようだが、これで納得してくれるだろうか。尊敬される父でいたい、その思いだけでここまで耐えてきたようなものだ。
「お待たせ」
にこやかな声で話しかける。
聞こえてないのだろうか?
反応がない。
「おーい?」
音楽でも聞いているのか?
近寄り、妻の肩に触れる。
その瞬間、違和感に鳥肌が立つ。
「ひぃっ!?」
つ、、、冷たい?
なんだこの、、、冷たさは?
触った手を左手で握りしめ後ずさりする。
同時に周囲の異常に気が付く。
世界から、音が消えたーー。
「どうなってるんだ、、、」
全てが動きを止め、静止画に迷い込んだような感覚に襲われる。
静寂の中、恐る恐る妻と娘の前に立つ。
自分の心臓の音だけがフロアに鳴り響く。
ゆっくりと二人の顔へ視線を向ける。
「そんな、、、」
正面から見る妻と娘。
穏やかな表情で宙を見つめている。
「嘘だ!」
二人であったはずの存在は、温もりを持たぬ陶器の人形となっていた。
音のない世界に、自分の声だけがこだまする。
「誰か!誰かーーーーぁぁぁ!」
「おい、大丈夫か?」
ここはーー。
急速に浮上する意識とともにベージュの天井に焦点があう。
数秒の間をおいて状況を把握する。
ここは、病室か。
そして、
「でかい声出すからびびったぞ」
私を見下ろしているのは同僚、プロジェクトマネージャーだ。
さっきのは夢、、、?
いや、そもそも私はなぜここに?
「あんた、客先で倒れたんだよ」
大騒動だったんだぜ。
うんざり顔のPMを前に記憶が戻る。そうだ、開発のクソ野郎がデータベース消去したせいで客先に缶詰め、そこで切り戻し中に「どう落とし前をつけてくれるんだ」と客から詰められ、役員に電話しようと外に出たーー。
ここで記憶が途絶えている。
「そうか、、すまなかった」
いやいいよ。ん、俺?さっきひと段落したから立ち寄っただけだよ。システム障害?なんとか切り戻した。2日間営業システムが止まったからな。恐らく多額の損害賠償金を請求されるが仕方ねぇな。
「じゃ、もう帰るよ」
医者は大したことないと言ってたから、すぐ外に出れるだろう。
あ、そうそう。
何かを思い出したのか、PMが振り向く
「あんた、一か月のメンタルヘルス休暇に指定されたからゆっくり休みな」
入れ替わりで飛び込んできたのは妻だった。
「あなた!大丈夫なの!?」
あぁ、、、
生きている。
生きている妻の顔だ。
「自宅に電話をもらって、びっくりしたわ。こんなに無理していただなんて、、、ごめんなさいね気が付かずに」
こちらこそ悪かった。
いや、本当に申し訳ないのはこれからだ。
どうやら私は昇進ルートから外れそうだ。
今後はゆっくり仕事をするよ。
あぁ、ひと段落ついたみたいだし。
そうだな。
いいね、温泉でも行くか。韓国?いやそれはやめておこう。
いつぶりだろうか、こんな風に妻と会話をするのはーー。私の一番大切なものは仕事じゃなかったんだ。そんな単純なことにようやく気が付いた。
愚かだな。
涙を浮かべる妻を見つめ、自分に苦笑いした。
「って、ひと段落なわけねーだろーが!!」
オフィスのドアを開けると同時に叫ぶ。全員がちらりとこちらを見たが、狂人に構っている暇はないとばかりに視線を黒い画面に戻す。
さっきは思わずいい人ぶってしまったが、これから再発防止策を作り客先および社内に説明、下請けの整理整頓(クビ)、損害賠償請求の対応を検討、、、タスクは山積みだ。
そもそも元の開発プロジェクトも炎上してるんだぞ?
「ちっきしょう!」
なんだあいつの「メンタルヘルス?俺のキャリアおわた」的なツラは!?メンタルヘルスで一か月休暇なんぞ初級、初級編じゃ!鼻かぜレベルの経験で落ち込んでんじゃねえよ!
どいつもこいつも!なんでこうも手がかか、、、
「PM、奥様から社内電話です」
「うっ、、」
そう、こう見えて俺は結婚している。
しかも社内結婚だ。別部署のSE、彼女もまた大炎上プロジェクトに巻き込まれ今にも一酸化炭素中毒を発症しそうな状況。そんな奴から社内電話、、、
なんで個人携帯じゃないかって?
そりゃ俺が着拒否しているからだ。LINEの既読スルー件数はもはや数え切れん。
「はい...」
意を決して電話にでる。
客より怖えよ。
受話器越しにドスの効いた声が響く。
「1.保育園のお迎え、2.食料買い出し、3.お前の親がそろそろ孫の顔見たいだとさ適当に断れ、そして、、、」
ガチャン!
派手な音で電話が切られた。
なんという簡潔な指示であろう。
我が妻ながら惚れ惚れする。いつもタスクはFIFO、すなわちファーストインファーストアウトを心がける俺だがこればっかりは違う。
「プライオリティは天井突破のHighだ」
ミッションクリティカルなシステムだと?
くっそどうでもええわ。
俺のガンプラを救出する、そのために俺の今日は設計され実装されるのだ。
昼休みに食料買い出し、保育園のお迎えからの俺の両親に預けることで孫の顔見せもこなし一旦職場に戻ったのちに夜食時間帯を使い一時帰宅、我が家のガンプラを整理し保護、これで俺の日常は保たれる。
なんという完ぺきなプロジェクトマネジメント。
さすが、さすがだ俺!
「さっさと片付けるぞ!」
部下たちがニヤニヤしている気がする。気のせいだろう。うん?切り戻しで復元されていないデータがあるだと? 仕方ねーだろ、損害賠償金で解決しろよそのための組織だろうが。おっ、開発のテストはうまくいってるじゃねーか、、、
なぜか軽くなった心とともに、今日も終わりなきタスクに立ち向かうのだった。
これにて一旦連載はおしまい!
SIer残酷物語、いかがでしたでしょうか?
感想や書いてほしいことなどコメントありましたら是非よろしくお願いいたします。
夜が更ける
朝日が昇る
今日もどこかで大炎上
火消しのつもりがガソリン投入
給料安い?待遇悪い?行政指導もなんのその
ここには何かがあるんだよ、人を狂わす何かがある
だから続くよSIer
技術が変わろうと、雇用形態が変わろうと
そう、俺たちは狂いたい、ずっと狂っていたいんだ
(完)
※人が倒れる
私が開発現場に身をおいたのは非常に短い期間だったが、目の前で倒れるのを2回見たことがある。人は脆いものだと知った。
※メンタルヘルス休暇
割とホワイトなSIerだと自殺防止のため一定以上のストレスが観測された者は強制的に休暇を取らされる。実際は産業医の診断。取得者があまりにも多いので開発チーム内ではあぁまたかお疲れっす、、くらいの扱い。