何か困ったこととか、認めがたいことがあった時に、
それに積極的にかかわってなんとかするというのも一つのやり方だけれども、
「スルー」してやり過ごすのも別の方法である。
自分とそぐわないことがあった時に、それに関わると相互作用が生じてしまう。
世界は十分に広いので、
自分と、そのそぐわないことが両立するスペースは十分にある。
だから、黙って離れたり、
忘れたりすることは卑怯でも弱腰でもなく、共生という生命の原理にかなっている。
世界全体から見れば、
それは多様性を増やす結果となって、
みんながのびのびと呼吸できるスペースができるのだ。
国の定めた学校という中で、
そこで感じたモヤモヤを何とか変えていくというのも一つの手だったし、
これまでしばしば、
“辞めなきゃならなかったの?”
“辞めずに変えていく方法は・・・”
なんて、言われたこともあった。
ついこの間も言われたばかり。
でも私は、
中に居て、
“これは違う、あれは違う”
“こうしていきたい、変えたい”
という気持ちを持ちながら戦っていくのは、
どうも、気持ちが悪かった。
「まだ若い。多くの先生方もそういう葛藤を必ず通って今がある。
だから辞めずにもう少し現場に居たらどうだ。」
とも、言われた。
もしかしたら、私が“根性のない若手、考えの甘い若手”と映った人も居たと思う。
そう思われようが、
私は、ただ、自分の気持ちが楽しい方を選んだ。
辛くとも耐えて、一つのことをやり抜くことが、
美徳とされがちな日本。
でも、一度就職したとしても、
違うな、と思ったら辞めて良い。
それが本人にも、会社にも良いことだと思う。
“黙って離れたり、
忘れたりすることは卑怯でも弱腰でもなく、
共生という生命の原理にかなっている”
学校も会社も、
辛くても耐え抜いてこそ、の場所ではない。
みんながのびのびと呼吸するスペースを、
たくさん作っていきたい。
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2019.8.21.
茂木さんの、冒頭の更新を見てから、
また更に心が自由になった気がする。
何かあれば、
そっと離れる。笑
私のことを、嫌う人もたくさん居るだろうけど、
その人にはその人が心地よく呼吸できるスペースが、世界にはある。