2歳半から3歳半まで
西川口と言う所に
住んでた事がある。
12条1間のアパートで
家賃1500円の風呂なし
共同トイレだった。
|ω・`)ショボーン
この頃の父親は
毎朝朝7時に家を出て
自転車で駅まで通ってた。
俺は
毎朝母親に抱っこされて
父親の出勤姿を見送る事が
毎朝日課だった。
この時俺は
いつも父親に向かって大声で
「パパ行ってらっしゃーい!」
と叫んだ。
この時住んでたアパートは
国鉄の真横にあり
大声を出しても
電車の音にかき消される。
なので俺は
更に大声を出して
「行ってらっしゃいー!」と
叫んでた。
キャ━━━━(#゚ロ゚#)━━━━ッ!!
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俺が大声で叫ぶと
父親が自転車に乗りながら
後ろを振り返って手を振る。
しかも俺は
何度も何度も叫ぶけど
そのたびに必ず振り向いて
手を振ってくれてた。
そしてたまに
自転車のバランスを崩し
ズッコケてた。
ギャー!ε=ε=(*ノ>Д<)ノ
父親を見送ると俺は
そのまま抱っこされて
目の前を走る電車を見に行く。
°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°
この時俺は
電車の名前が知りたくて
母親に名前を聞いてみる。
するといつも
「黄色い電車」「赤い電車」
「緑の電車」「青い電車」
と言って正式名を教えてくれない。
そしてここの後母親は
毎日アニメの主題歌を歌って
家に戻っていたから
歌を覚えてしまった。
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父親が仕事から戻ると
食事の前に
銭湯に行くのが日課だった。
(*^▽^*)
銭湯に到着すると俺は
いつも母親と一緒に
女湯に入ってた。
この銭湯には
凄く大きく立派な富士山の絵が
一番奥の壁に堂々と書かれてた。
この大きな絵を見てた俺は
どうやればこんな大きな絵を
壁に描けるのか
不思議で仕方なかった。
どう考えても
目で見える範囲を大きく超えて
目で見えない所を描く方法が
全然解らなかった。
この時俺は
「巨人が描いた絵なんだ」と
思い込んでしまう。
アワワワワ(((゚д゚; )))ワワワワッ
そして
体を洗い温まって風呂場を出ると
母親が無料ドライヤーを使い
髪の毛を乾かしてた。
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母親が髪の毛を乾す時
時間がかかるので
いつも瓶の牛乳を買ってもらい
着替え室のソファーで待ってた。
その時間が凄く長くて
15分位かけて
ずっとドライヤーで乾かしてた。
いつも俺は
この状態が退屈で先に外に出て
タバコを吸ってる父親と待った。
( ´Д`)=3 フゥ
しばらくすると母親が出てきて
家に向かうのだけど
この時1度も父親から
母親が来るの遅いと聞いた事ない。
その後
家に到着して
母親が食事を作り始める。
(´∀`*)ウフフッ
しかし
その食事を作る時間は
15分位であっという間に
作りおわってた。
それもそのはず
当時すごく貧乏な食事で
「白米」「味噌汁」「漬物」
これだけしか出てこなかった!
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しかし食事が少ない分
お酒とおつまみは
何故かすごく豪華だった。
それは
俺の父親と母親が大の酒好きで
夜の晩酌に人生をかけてたから。
ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪
食事が済むと俺は
スグに寝てしまってたが
たまに夜起きる事がある。
すると俺は
凄くおいそそうな食べ物が見えて
「食べたい!」と駄々をこねた。
そうするといつも
父親が膝の上に座らせくれて
おつまみを食べさせてくれた。
(*´▽`*)
この時母親は
「こんなしょっぱい物
食べさせちゃダメ!」
そう言って反対してくる。
しかし父親は
その母親の制止を聞かず
俺に色々食べさせてくれて
超ご満悦になれた!
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でも
この時食べさせてもらった物で
レバーとクジラの肉と馬刺しだけは
あまりにも不味すぎて食べられない。
この3つの嫌いな物は
今でも不味くて食べる事が出来ず
絶対に残してしまう。
そして俺は
この後すぐに寝てしまうが
夜中にトイレに行きたくなって
毎日起きていた。
この時
共同トイレに行く廊下が真っ暗で
恐怖のあまり1人で行けなかった。
その為
毎回母親を起こして
一緒についてきてもらってた。
(ヽ´ω`)フゥ-3
この時の母親は
物凄く眠そうな顔をして
お化けにしか見えない。
ヽ(д`ヽ≡アタフタ≡ノ´д)ノ
そして用を足した俺は
いつも母親におんぶされて
凄く安心したまま家に戻り
布団に入る事が出来てた。