2歳の時母親が
弟を妊娠した為
今まで住んでいた西川口の
ボロアパートから引っ越した。
引っ越し先は
おばあちゃんの家で
母親の家事の負担を無くす為
一緒に暮らそうと言う事だった。
しかし俺は
お婆ちゃんが大好きで
一日中べったりくっついて
ずっと遊んでもらってた。
ヾ(*´∀`*)ノ
こんな状況なので
当初の引っ越してきた目的の
母親の家事を軽減させる事が
全くできない。
俺が
お婆ちゃんから離れないので
家事全般を母親がやらないと
ダメな状況になってしまった。
この時の俺は
お婆ちゃんとお風呂に入り
お婆ちゃんと一緒に寝てた。
(*´∀`*)スヤスヤ
更に
お婆ちゃんがトイレに行くと
寂しくて泣きわめいてしまい
トイレのドアをドンドン叩いてた。
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しばらくすると
俺の誕生日が来て3歳になり
遊べる場所が増えた。
(*´-∀-)フフフッ
その遊び場所は
歩いて5分の所にある
交通公園と言う
色々な乗り物が乗れる場所。
この公園にある乗り物は
自転車とキックスケーターと
ローラースケートと
ゴーカートまである。
この公園は
きちんと歩道と道路が作られてて
自動車教習所と同じ感じの
公園だった。
そして好きな乗り物を乗り
このコースに出て
自由に遊ぶ事が出来る。
°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°
この中でも俺は
ゴーカートが大好きになり
この公園に来たら
ずっと乗り続けてた。
公園内には
信号機や横断歩道まであるから
自動車を運転する体感が出来て
凄く楽しめる。
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お正月が過ぎ
病院が営業し始めた初日
母親がそろそろ生まれる日なので
検査に行って来た。
すると
いつ生まれても
おかしくないと診察され
そのまま入院してしまう。
その後
毎日母親の病院に
お婆ちゃんと一緒に
お見舞いに行って来た。
(*´-∀-)フフフッ
この時俺は
母親が食べてた食事をもらい
少し食べさせてもらったら
病院食なのに凄く美味しい!
この頃うすうす俺は
母親の料理が凄くマズいと感じてて
病院食を食べた時の美味しさで
母親は料理が下手だと確信した。
アワワワワ(((゚д゚; )))ワワワワッ
母親が入院してる間は
お婆ちゃんが料理を作り
その味がとても濃くて
父親も俺も大盛況だった。
たまにラーメンを出前すると
ラップがかかったラーメンから
凄く美味しそうな香りがし
味も美味してく大好きになった。
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そして1月9日の朝
病院から電話があり
弟が生まれたと連絡が来た。
\( 'ω')/
早速俺とお婆ちゃんは
生まれたての弟を見る為
一緒に病院に向かう。
途中で俺は
歩くのが疲れてしまい
お婆ちゃんにおんぶされて
そのまま寝てしまった。
その後
病院に付いたので起こされ
弟を確認してみた。
ウフフ♪(。-艸・。)
するとすやすや眠ってて
頭を撫でてみると
プニプニして柔らかい。
更に手を触ってみると
指をギュッと握られ
その力が凄く強くて
ビックリしてしまった!
そのまま弟は
俺の指を全く放してくれず
俺の力で外そうとしても
ビクともしない。
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弟が指を放してくれないので
母親が弟の手を広げ
やっと俺の指が解放された。
( ´Д`)=3 フゥ
その後すぐ
父親も会社の抜け病院に来て
弟を抱き上げて喜んでた。
しばらくすると
美味しい病院食が用意され
俺も一緒に食べさせてもらい
ご満悦になった。
この時俺は
兄になった自覚なんて全くなく
弟の世話のせいで
甘えられなくなると心配してた。
そして母親は
2日後に退院し
無事に我が家に戻ってきた。
翌日弟の誕生祝に
親戚一同がお婆ちゃんの家に来て
お酒を飲んで大騒ぎをしてた。
そしてこの場で我が一族の長男の
変人パソコン博士が
1番天才と言う事で
弟の名前を「義明」と命名した。