10歳の時。
俺は、埼玉県の三郷から東京の町屋に引っ越してきた。
引っ越した理由は、お祖母ちゃんが1人暮らしなので一緒に暮らす為。
もう70になるお祖母ちゃんが1人暮らしだと、大変だろうと言う事だった。
おかげで俺は、転校する事になってしまった。
でも転校する時、特に悲しい事は何もなかった。
俺は、別に誰からも好かれている訳ではない事を理解していた。
どちらかと言えば嫌われ者だと思っていたからだ。
確かに当時の自分を振り返れば、嫌われても仕方ないように子供だった。
それは、他人の気持ちを解ろうとせず、全然理解していなかったから。
要は、自分勝手だったからだ。
今思うと、本当に当時の自分の姿がバカにしか思えない。
でも自分勝手なのは、当時の自分も何となく理解していた。
だから自分からは、遊ぼうと声をかける事が出来なかった。
相手から遊ぼうと声をかけられた時だけ、一緒に遊んだ。
でも、やっぱり自分勝手な頑固者だから友達なんて出来なかった。
当時は、1人で遊ぶ事が多く家に友達を連れて行った事なんて滅多にない。
その滅多な事が起こると母親は、俺の友達に色々サービスをしていた。
お菓子をくれたり、ジュースを出してくれたり。
きっと俺の様な糞人間に友達が出来る事が奇跡に思えたのだろう。
そんな学校生活をしていたから、邪魔者は消える気分で転校していった。
転校した先でも、特に性格が変わる事無く、友達も出来ずじまい。
相変わらず1人で遊ぶ事が多かった。
でも引っ越し先の町屋は、三郷にいた時のような1人遊びは出来なかった。
三郷にいた時は、1人で玩具屋に行き欲しい物を眺めたりしていた。
本屋も巡回して、漫画本が買えないから立ち読みしていた。
町屋は、三郷と違って本屋も玩具屋もたくさんない。
俺は、仕方ないので母親に自転車を借りて遠くまで探索に向かった。
そんなある日、道路標識に上野方面と言う表札を見つける。
俺は、自転車でその標識の矢印をたどり上野に行ってみたくて向かった。
そうしたら、あっという間に上野に付いた。
町屋から上野なんて自転車で行ける距離だったんだとビックリした。
俺は、生まれて初めて上野と言う所に来た。
そうしたら玩具屋どころか、不忍池や、大きい公園や、松坂屋まである。
この時、完全に田舎者だった俺は、大都会の街並みに感動してしまった。
しかもアメ横に行くと、満員電車並みの混み様で大都会の洗礼を受けた。
俺はこの時、あまりにも色々ありすぎて1人でも全く寂しくなくなった。
そして俺は、週3位のペースで上野に出向き、探検しまくった。
10歳のガキが上野の街をねり歩き、目を輝かせて色々な店に入っていく。
その光景は、異様だったかもしれない。
でも、行けども行けども楽しい興奮が冷めやらない。
特に、玩具屋のやましろ屋には、大感動していた。
雑誌でしか見た事がない、ジオラマやフィギアが作られ展示されている。
そして三郷では、絶対に手に入らない玩具もたくさんある。
もちろん俺が大好きな鉄道模型もあった。
この時俺は、上野が夢の国以外の何物でもなかった。
さすが大都会東京だ。
とある日曜日。
俺は、また上野の探索に向かった。
そうしたら、歩行者天国が行われている。
しかもそこに、たくさんの売店やパフォーマーもいた。
この時、まるで特設遊園地が出来ているように感じた。
その光景が、あまりにも楽しくて、そのまま歩行者天国を歩いて行った。
時間を忘れ様々なパフォーマンスを見て様々な綺麗なお姉さんを見ていた。
街ゆく人達は、皆オシャレで凄くカラフルで、まるで遊園地の人みたいだ。
それに引き換え10歳の俺の服装は、ダサダサの半ズボンにタートルネック。
まるで、戦後の子供の様なかっこうをしていた。
俺は、この時生まれて初めてオシャレしないと恥ずかしい気になった。
そして、そのまま永遠に歩いて行ったら秋葉原と言う所にたどり着いた。
ここは、俺が全く知らない異次元の世界だった。
電子部品が売られ、きらびやかな家電が展示されて、パソコン迄ある。
俺は、パソコンと言う物は、CMを見て知っていた。
でも実物のパソコンを見るのは、生まれて初めてだった。
俺は、パソコンに写されている画像を見て気が狂うほど感動していた。
そして上野と秋葉原の魅力に取りつかれ、毎週日曜日自転車で通い詰めた。
俺はこの時、1人の寂しさなんて全部吹っ飛んでしまった。