

青空文庫にて読了。
最晩年の論文。
ライプニッツの『モナドロジー』を思わせる名刺代わりの一編だが、時節柄大東亜戦争肯定の文脈で読まれたりも。
本邦哲学界の巨人が最後に到達した「一即多、多即一」の実践的・宗教的論理であり、強引にまとめるなら、「絶対に対立するものが自己否定を通じて絶対的に一つになること、それが世界の本当の姿であり、私たちが生きる現実である」。
西田哲学のエッセンスというと聞こえはいいが、決して判りやすい内容ではない。
モナドロジー然り、結局最晩年の総まとめを斜め読みしたところで、思想全体の理解には程遠いのだろう。
弟子の下村寅太郎によるライプニッツ研究を目にし、下村本人に「いま自分に一番近いと思う哲学者はヘーゲルよりもライプニッツだ」と語ったエピソードが示すように、当論文がモナドロジーの影響下にあることは確実なのだが、それにしても判りにくい。
モナドロジーの半分も理解できた気がしない。
亜流ヘーゲル、亜流ライプニッツというか、ただのヘーゲルとライプニッツのいいとこ取りにしか思えない。










