

前作でストーリーテリングにおいては一皮剥けた感があった笠井御大、真犯人は割と早い段階で予想がつくとはいえ、今作にていよいよミステリとしてもギアが一段上がった気がする。
ミステリ作家って他ジャンルへの転向を除けばアイデア的に先細りするかパターン化して量産するしかないある意味因果な商売なわけだが、まさか還暦過ぎてシリーズ過去作を上回ってくるとは。
しかし、にしてもナディアよ。
前作の一本釣りもそうだが、お前さんの考える物理トリックは………喰ってかかるのをやめただけで、ちっとも大人になっていやしないぞ……。
以下雑感(軽いネタバレ注意。てか笠井御大の評論ってネタバレしまくりだし)。
今回の思想的論敵モデルはハンナ・アレント。
"AとBが計画したCとDの交換殺人の裏には、Aを殺害しBを殺人者に仕立てあげるEの復讐計画が隠されていた"←つまりはこういう真相
終盤、かのワトソン博士やヴァン・ダイン弁護士と自らを比肩するナディア。だからそういうとこだぞ!
初出は2010年のメフィストか。15年前。結構経ってるのね。
あと初版のせいか誤字が多い。紙と違って電子書籍なら容易に直せそうな気もするのだが。
以下やや固めの雑感。
終章。
本来ならエピローグに当たる部分だが、シリーズ全般、こと本作においてはここからが本編といってもいい。
シモーヌ・リュミエール(ヴェイユ)を追いつめたとき以来の語調を見せる矢吹駆。
今や最も有名なニーチェの箴言となった深淵云々に関する激越な批判。
ここで更に評価を改めねばなるまい。
ミステリのみならず、思想小説としても本作は一つの到達点となっている。
世間的には『哲学者の密室』、個人的には『サマー・アポカリプス』をシリーズ最高傑作と思っていたが、これも改める必要がある。
最高傑作、ここに爆誕である。
追記。
『サマー・アポカリプス』では究極の選択を迫られたシモーヌが予想外の一手を打つことで矢吹駆に只ならぬ衝撃を与えたわけだが、今回、ハンナ・カウフマン(=アレント)のその後は書かれていない。
既に執筆済みの次作以降に書かれているのだろうか。
ナディアの締めの文章から察するに、その可能性は低そうだが。










