【Rev.3】
カーボンナノチューブの成長に古新聞が必要らしい。確かに家庭に3部は古新聞紙が欲しい時はある。新聞をとっていない家庭のために、古新聞紙風の紙が売っているとも聞いたことがある。
【Rev.2】
年末年始に日産の元会長ゴーン氏が海外逃亡した大事件は、新聞紙の決定的な欠点を露呈したように見える。年末年始という新聞が休止している間に、事件は数時間ごとに状況が変化し、新事実が明らかになっていく。このような事件の推移は新聞紙では到底追いつけず、ネットニュースに明らかに敗北している。
【Rev.1】
いまだに夕刊を発行していたこと自体が結構な驚きなのだが。
【Rev.0】
消費税10%への値上げに伴って軽減税率という何のメリットがあるかさっぱりわからない複雑な税制が導入された。これに対して政府への不満とともに憎悪の対象となったのが新聞である。新聞はちゃっかり軽減税率の対象となって8%据え置きであり、マスコミに対するゴマスリだとまことしやかに囁かれた。
スマホやパソコンが普及した時代において、新聞は不要だと言われるが、参照リンク先のように、不要じゃないと主張する人は多い。はっきり言って新聞は現代の環境を考える上で有害ですらあると思う。その理由を挙げていく。ただしここでいう新聞は紙による新聞紙であり、新聞社のことではない。
1.新聞紙というゴミを出している
日本人一人当たりに出すゴミの量は約1000gであるのに対して、新聞紙一部は約200gである。つまり新聞紙がなくなれば、20%のゴミの減量になる。ちなみにレジ袋が約5g、紙パックが約30gである。新聞は紙だからリサイクルできるのは事実だが、すべての人が古紙リサイクルに出しているとは限らない。またゴミの総量が減ることを減らすことは絶対的に有利である。
2.配送にかかる運送のエネルギーが節約できる
新聞は各家庭に毎朝配達され、そのためにバイクが運転され、その分二酸化炭素が排出される。自転車を使えば燃料は要らないが、人間に優しくない。しかも団地のようなエレベーターのない家庭に届けるためには階段を何度も上り下りしなければならないので、なおさら人間に優しくない。
3.めちゃくちゃ読みづらい
新聞はとにかく読みづらい。あのでかい紙面を広げるのは邪魔であるし、記事がいろんな場所に飛んでいって見つけるのも面倒臭い。一面以外を見ようとすると複雑に折り畳まなければならない。さらに字も小さいのでお年寄りには読みづらい。なぜあんな読みにくい紙面をいまだに使い続けているのだろうか?ユーザーフレンドリーという視点がまったくない。
4.勧誘員がいなくなる
一人暮らしを始めた若者が迎える関門の一つが新聞の勧誘員である。彼らは巧妙かつ強引な方法でなんとかかんとか契約を取ろうと必死であり、恐怖すら感じる。断っても断っても扉を閉めさせてくれない。マジ怖い。
こんなことを書くと、マスコミに恨みでもあるのかと怒られそうだが(まあなくもないが)、割と冷静に考えているつもりである。産業や文化がなくなることに忌避感を感じるかもしれないが、競争と変化の激しい時代にあって、珍しいことではない。人類の長い歴史でずっと続いたタバコや酒の文化もなくなりつつある。
また新聞紙がなくなることとマスコミの是非は必ずしも関係ない。報道や取材活動として、政府を監視する機関として必要だと思う。新聞紙はあくまでも商売の一つであって、マスコミの存在意義ではない。新しい時代や技術に合わせて変わっていくのが正攻法だと思う。事実存続している多くの企業はこれに成功し、失敗した企業は廃業している。
今は環境ファーストの時代になりつつあり、紙の新聞はそれに適用できていない。いつも国や政府や企業や人に対して批判を向けるマスコミなら、まず自分自身の存在意義とビジネスモデルに対して真摯に目を向けるべきだと思う。