最後のトレーダー向け部分だけを有料にしてあります。ほとんどの内容はオープンにしておりますので投資家以外の方も読んでいただけると幸いです。
光陰矢の如し
早いものです。あの、大津波を起こした大震災から時は9年が過ぎ去りました。
今でも、この時の事を思い出すと胸が痛くなります。
相場の世界では、ちょうど自衛隊がヘリコプターで福一の原発を海水で冷却するシーンがTVに映される最中に、サーキットブレーカー(日経225全体に対するストップ安)が作動いたしました事を今でも良く覚えております。
それは、実に震災発生の4日後、十分に被害の状況が分かってきたにもかかわらず、それでもパニックにならなかった日経平均は、福一原発の姿がTVに映し出され・・
情報の流れとは、我々一般市民には、いつの世も工学的に伏せられるものなのか、次の日の新聞には、被害の大きさなんて珍紛漢紛な数字でしか書かれませんでした。
まあ、情報とはこんなものです。
この時点では、投信もファンドもまだ投げなかったと言うことです。
燃え上がる気仙沼を見ても・・
仙台が、津波で流されても・・
これを見ても、
市場は、まだ、サーキットブレーカーをともなうようなパニックにはなりません。
都市がひとつ無くなっても、
やはり人間とは、自分に危機が及ぶと感じるところまで来て初めてパニックになるのでしょうか?
いよいよ。ここでパニックです。
一度目のサーキットブレーカーから再開する事すぐに二度目のサーキットブレーカーがかかります。二回目は、更に値幅が引き伸ばされるのでもう、どこの投信もファンドも保険も投げたのでしょう・・リーマンショック時のCBもPCの前で取引しておりましたがそれ以上に感じました。まさに前代未聞のパニックでした。
確か、日経は、前日比-17%は、最大で逝ってたと思います。
ここでやっと、一枚千円で買えたPUT・OPTIONが一枚100万円になりました。
あ、筆者ですか?
当時、20数万円分のPUT・OPTIONとラージのSを数枚建てていました。
ただ、14日の朝にすべて売り抜いたので・・
リーマンショック時は、あと2日握力が有れば、証拠金ベースでも億トレでした。3.11は、後・・たった一日持ち越していれば、これも十分億トレでした。
実に惜しい・・
あ、心配しないで下さいね。
被害が明確になるほど大きな罪悪感で、本当に苦しくなってその後ボロ負けしてほとんどの利を飛ばしました。その後、アベノミクス初期に大きく売り建てて借金をともなう退場までしていますから・・
お話が、脱線しました。
戻します。
過去のデータなんて相場では、何の役にも立たないと言う人もいます。
ですが、、
ただ、ひとつだけ言える事は・・
ショック相場では、リバウンドも確かに信じられないくらい大きいのが入ります。
でも!!