「イザヤ書を読む」続き。
正義(ツェダカー)と裁き(ミシュパト)とは、イザヤにおいて、「弱者の側に立って痛みを共感するところから物事を判断し、不当に抑圧され、奪い取られている権利を取り戻すとともに、富と権力の座にあるがゆえに真実が見えなくされている人々をそこから引き降ろして、共に平和のために働けるようにする」ことだということは、先に述べた。
本田哲郎は書いている。
「しかし、もし、神の救いの力である正義と裁きの実践ではなく、富と権力のエジプト帝国に頼るなら、頻発するナイル河の氾濫に巻き込まれるように、彼らの抑圧と搾取の「洪水」に、昼も夜も押し流されるはめになるとイザヤは警告します。エジプト帝国が提供する安全保障の「寝床」は、安心して寝ていられるようなものではないことをはっきりと告げます。」(「イザヤ書を読む」p106)
このエジプトをアメリカに読み替えたら、今の日本の状況として読めるであろう。