南りこライブ@北千住
イギリスにケルト音楽の勉強のために留学していた頃からの知り合いだけど、
だんだんその音楽は円熟してきている気がする。
この日の楽器編成にケルトの横笛が入っていたのがよかったと思う。
アコーディオンやギターの音までそれに融和するとケルトっぽく聞こえる。
もともとオリジナル曲のメロディの中にケルト音階や、そのパターンは入っていたんだけど、
それが横笛が入ると活かされくるというか、それらしく聞こえてくる。
ケルトの音階も、基本的には琉球音階と同じヨナ抜きらしいが、三線で琉球音楽を聴いているときほど、その特徴は表れないなと今までは思っていた。
しかし、ケルト横笛が入ると、確かにそうなんだと伝わってくる。
今まで楽器編成のために、そこを味わってもらえなくて損してたんだなあ。
とはいえ、ケルト音楽と琉球音楽の共通性という話になると、
ケルトと古代日本の共通性という話に持っていき、日本のナショナリズムに利用する人がいるのは、僕はそういう人が大嫌いなのです。
小泉八雲やエンヤを持ち上げる人の中にもそういう人はそこかしこに混ざっています。
神道ソングライターとか言っているうちに、なぜか京大未来学研究所の所長に抜擢された鎌田東二とか。(國學院大學で神道を研究した人がそこに抜擢されたわけだけど、もっと総合的なビジョンを持つべき役どころに神道学者が抜擢されることは、客観的に納得いかないところがある。)
サルタヒコフォーラムで知り合ったのでだいぶ鎌田さんとはやり合ったけど・・・・。
エンヤを持ち上げたガイヤ交響曲の龍村仁も皇室主義者だし、あの映画は京セラの機械を使うときなど、京セラって文字にフォーカスしすぎとか、いろいろあざといところがある。
向こうは覚えてないだろうけど、この人もサルタヒコフォーラムで会った。
またCD「サキャタシリン」のライナーノートを僕がチベットのマントラも含めて翻訳したとき、解説の前文をこの龍村仁がけっこう適当に書いていた。ネームバリューでCDの売り上げ向上を狙うユニバーサルミュージックの戦略はわかるけど。
ガイヤ交響曲には僕も大好きな星野道夫が出ているけど、彼の人生や南太平洋のネイティブピープルの伝統的カヌーの復興運動(ナイノア・トンプソン)や、そういう純粋な先住民への思いをうまく絡め取って、日本のナショナリズムに巻き込む手法が、龍村仁はほんと、あざといと僕は思っている。
だから、りこちゃんがケルト音楽をやっていると初めて聞いたときから、その話はしているし、ジョン・レノンの「アイルランド人に生まれたら」の拙訳や、youtubeも送っている。
その話はよくわかってくれているような気がするが、音楽をやる上で政治的側面が目に見えるぐらい強くなると色々と支障があるというのは、リアルな現実だろう。
また、りこちゃんは、本人が望もうと望むまいとアイドル性があり、マネージャーもいなくて、準備も片付けもして、物販もして、適切な距離感のフアンサービスもして・・・・というのは、大変! というのは、よくわかってしまう。
ところで、ハヤテくんのギターも円熟してきている感じがした。
前からすばやく上手に弾いていたが、若さ故の堅さがある感じがしていた。
今は、余裕が出てきて、聞かせるものになってきていると思う。
りこちゃんの声にも深みが出てきている。
オリジナル曲もよかったが、
ちあきなおみの喝采と美空ひばりの真っ赤な太陽の二つのカバーもちゃんと歌いきった感があり、僭越な感じがしなかった。
かなりの大曲なので、それはけっこう凄いことなのではないかと思う。
会場は地域のミニ放送局で収録を兼ねていたのだが、その放送局へは、エレベーターが横長で出入りしにくく、また入り口に段があったので、ハヤテくんが送ってくれた。