発句の音節について考えていて、自分なりの結論を出した。今までこの説明をしてくれた人はいなかったので、自分で考えるしかなかったのだが、それは歴史的仮名遣いを奪われたからと思います。
日本語の音節は本来母音で終わる。しかし、音便のときには例外となる。ゆえに行っては本来行きてなので三音節。でしょうは本来、でせうなので三音節。死んでは本来、死にてなので三音節。つまり歴史的仮名遣いに戻せば、音節と表記が一致する。